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「魏晋南北朝史研究会」連絡事項

1.魏晋南北朝関係文献目録(中国へ送付のために受領した別刷)

下倉渉「散騎省の成立−曹魏・西晋における外戚について−」(『歴史』第86輯、1996年4月)
佐竹保子「夏侯湛の「昆弟誥」について」(『中国社会と文化』12,1997年6月)
川合安「訳註『宋書』沈約自序(一)」(『北海道大学文学部紀要』46ノ1、1997年9月)
佐竹保子「張華の文学に見られる『老子』の影」(『日本中国学会報』49,1997年10月)
下倉渉「「三公」の政治的地位について」(『集刊東洋学』第78号、1997年11月)
中村圭爾「晋南北朝における符」(『人文研究大阪市立大学文学部紀要』第49巻第6分冊、1997年12月)
川合安「訳註『宋書』沈約自序(二)」(『北海道大学文学部紀要』46ノ2、1998年1月)
安田二郎「西晋武帝好色攷」(東北大学『東洋史論集』第7輯、1998年1月)
三崎良章「五胡十六国時代における遼東・遼西地方の民族構成の変化について」(『早稲田大学本庄高等学院研究紀要』第16号、1998年3月)
森本淳「曹魏軍制前史−曹操軍団拡大過程からみた一考察−」(中央大学『アジア史研究』22号、1998年3月)
福原啓郎「西晋における国子学の創立に関する研究ノ−ト」(京都外国語大学『環日本研究』1997年・1998年3月)
佐竹保子「袁行霈著『陶淵明研究』」(『未名』16,1998年3月)
岡部毅史「梁陳時代における将軍号の性格に関する一考察−唐代散官との関連から−」
(『集刊東洋学』第79号、1998年5月)
下倉渉・南部英彦・渡部東一郎・小尾孝夫「書評・東晋次著『後漢時代の政治と社会』」(『集刊東洋学』第79号、1998年5月)
野田俊昭「梁時代、士人の家格意識をめぐって」(『東洋史研究』第57巻第1号、1998年6月)
川本芳昭「五胡における中華意識の形成と『部』の制の伝播」(『古代文化』第50巻第9号、1998年9月)
関尾史郎「有関高昌国”遠行馬価銭”的一件史料−大谷一四六四,二四〇一号文書及其意義」(中国文物研究所編『出土文献研究』3,1999年10月)
津田資久書評平野邦雄編『古代を考える・邪馬台国』(『北大史学』38,1998年11月)
津田資久「『魏略』の基礎的研究」(『史朋』31,1998年12月)
三崎良章「金翰奎著『古代東亜細亜幕府体制研究』」(『東洋学報』第80巻第3号、1998年12月)
関尾史郎「トォルファン出土高昌国税制関係文書の基礎的研究−條記文書の古文書学的分析を中心として−(8)」(『人文科学研究』98,1998年12月)
佐竹保子「相聞の贈答詩としての張華「情詩」五首−別離の愛、男の恋歌」(『鳴門教育大学研究紀要』13,1998年)
佐川英治「三長・均田両制の成立過程−『魏書』の批判的検討をつうじて−」(『東方学』第97輯、1999年1月)
野田俊昭「南朝の「寒士」−その極官とその理解をめぐって−」(『東方学』第97輯、1999年1月)
満田剛「王沈『魏書』研究」(『創価大学大学院紀要』20,1999年1月)
藤家禮之助「建業◎ス−『南史』の構成と関連して−」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』44、1999年2月)
荒木均「八王の乱から石勒へ」(『史友』31、1999年3月)
川合安「『宋書』沈約自序について」(『北海道大学文学部紀要』47−4、1999年3月)
関尾史郎「トォルファン出土漢語文書校訂稿−カラホ−ジャ3号墓とその出土文書−」(『東アジア−歴史と文化−』8,1999年3月)
関尾史郎「トォルファン出土高昌国税制関係文書の基礎的研究−條記文書の古文書学的分析を中心として−(9)」(『人文科学研究』99,1999年3月)
渡邉義浩「孫呉政権の形成」(『大東文化大学漢学会誌』38号、1999年3月)
渡邉義浩「中国古典デ−タベ−スをめぐる諸問題−『二十五史デ−タベ−ス』を中心に−」(『大東文化大学人文科学研究所報』5,1999年3月)
葭森健介「西晋における吏部官僚−西晋期における政治動向と吏部人事−」(『名古屋大学東洋史研究報告』23,1999年3月)
川本芳昭「民族問題を中心としてみた五胡十六国南北朝期段階における四川地域の状況について」(『史淵』136,1999年3月)
川本芳昭「民族問題を中心としてみた北朝後期段階における四川地域の状況について」(『九州大学東洋史論集』27,1999年4月)
佐竹保子「疾走する逸民−郭璞「江賦」の叙法−」(『中国文学報』58,1999年11月)
葭森健介「西晋の武帝司馬炎の評価をめぐって−福原啓郎著『西晋の武帝−司馬炎−によせて−』」(『書論』31,1999年5月)
窪添慶文「北魏後期の政争と意志決定」(『唐代史研究』2、1999年6月)
佐川英治「北魏の編戸制と徴兵制度」(『東洋学報』81−1、1999年6月)
関尾史郎「高昌国の坊制に関する二,三の問題」(唐代史研究会報告第Q集『東アジア史における国家と地域』1999年7月)
川本芳昭「民族問題を中心としてみた魏晋段階における四川地域の状況について」(唐代史研究会報告第Q集『東アジア史における国家と地域』1999年7月)
中村圭爾「南朝政権と南徐州社会」(唐代史研究会報告第Q集『東アジア史における国家と地域』1999年7月)
関尾史郎「古代中国における移動と東アジア」(『岩波講座世界歴史』19,1999年8月)
前島佳孝「西魏・八柱国の序列について−唐初編纂奉勅撰正史に於ける唐皇祖の記述様態の一事例−」(『史学雑誌』108−8,1999年8月)
佐竹保子「剣と光−張協「七命」をめぐる叙法の特性−」(『語文と教育』13,1999年8月)
佐竹保子「乱世の文学−六朝詩人の群像張華」(『しにか』10−10,1999年10月)
中村圭爾「三国両晋における文書『啓』の成立と展開」(『古代文化』51−10,1999年10月)
松下憲一「北魏の洛陽遷都」(『史朋』32,1999年11月)
藤井秀樹「前秦における対慕容氏政策」(『史朋』32,1999年11月)
津田資久書評中林史朗・渡邉義浩『後漢紀』(『史朋』32,1999年11月)
川合安「六朝隋唐の『貴族政治』」(『北大史学』39,1999年11月)
佐川英治「唐代成立正史の“民”字避諱について」(芝蘭集編集委員会『芝蘭集−好並木隆司先生退官記念論集』、1999年12月)
窪添慶文「北魏の宗室」(『中国史学』9,1999年12月)
前島佳孝「西魏の四川進攻と梁の帝位闘争」(『中央大学大学院研究年報』文学研究科篇29,2000年2月)
前島佳孝「隋末李密の東都受官に関する一試論」(『菊池英夫教授・山崎利男教授古稀記念アジア史論叢』(『中央大学アジア史研究』24、2000年3月)
山口洋「西晋愍帝時期の政局と雍州・秦州の動向」(『菊池英夫教授・山崎利男教授古稀記念アジア史論叢』(『中央大学アジア史研究』24、2000年3月)
山下将司「西魏・恭帝元年『賜姓』政策の再検討」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』45、第4分冊、2000年2月)
渡邉義浩・日吉盛幸共編『後漢紀人名索引』大東文化大学中国文学科渡邉義浩研究室、2000年2月
渡邉義浩「コンピュ−タ上におけるアジア系文字の処理の研究−『後漢紀人名索引』作成を中心に」(大東文化大学『人文科学』5,2000年3月)
渡邉義浩「孫呉政権の展開」(『大東文化大学漢学会誌』39,2000年3月)
三崎良章「『五胡』と『十六国』の名称について」(『早稲田大学本庄高等学院研究紀要』18,2000年3月)
三崎良章「東夷校尉考−その設置と「東夷」への授与」(西嶋定生博士追悼論文集『東アジア史の展開と日本』山川出版社、2000年3月)
窪添慶文「北魏における贈官をめぐって」(西嶋定生博士追悼論文集『東アジア史の展開と日本』山川出版社、2000年3月)
兼田信一郎「梁律編纂の背景−南斉永明律の検討を含めて−」(『獨協中学・高等学校研究紀要』17・18、2000年3月)
川本芳昭「北魏文成帝南巡碑について」(『九州大学東洋史論集』28,2000年4月)
野田俊昭「家格と『清議』」(『九州大学東洋史論集』28、2000年4月)
岡部毅史「北魏の『階』の再検討」(『集刊東洋学』83,2000年5月)
町田隆吉「『資治通鑑考異』所引『十六国春秋』及び『十六国春秋鈔』について−司馬光が利用した『十六国春秋』をめぐって−」(桜美林大学『国際学レヴュ−』12、2000年)
福原啓郎「三国魏の明帝−奢靡の皇帝の実像−」(『古代文化』52−8、2000年8月)
松下憲一「北魏の領民酋長制と『部族解散』」(『集刊東洋学』84,2000年10月)松下憲一「北魏石刻史料に見える内朝官−『北魏文成帝南巡碑』の分析を中心に−」(『北大史学』40,2000年11月)
平田陽一郎「北朝末期の『部曲』について」(『史滴』22,2000年12月)
岡部毅史「北魏における官の清濁について」(『大阪市立大学東洋史論叢』11,2000年12月)
佐川英治「『魏書』の均田制叙述をめぐる一考察」(『大阪市立大学東洋史論叢』11,2000年12月)
佐川英治「北魏均田制の目的と展開−奴婢給田を中心として−」(『史学雑誌』
110−1,2001年1月)
岡部毅史「新南朝の免官について−『免所居官』の分析を中心に−」(『東方学』101,2001年1月)
榎本あゆち「西魏末・北周の御正について」(『名古屋大学東洋史研究報告』25,2001年3月)
葭森健介「『地域社会の視点』・『共同体論』・『基層社会』ー1981中国史シンポジウム再論ー」(『名古屋大学東洋史研究報告』25,2001年3月)
兼平充明「後涼政権下の諸反乱について」(『青山史学』19,2001年3月)
森本淳「曹氏政権の崩壊過程に関する一試論ー軍事権との関係を中心にー」(『中央大学アジア史研究』25,2001年3月)
川本芳昭「顔之推のパーソナリティと価値意識について」(『史淵』138、2001年3月)
中村圭爾『魏晋南北朝における公文書と文書行政の研究』(科学研究補助金研究成果報告書、2001年3月)
藤井秀樹「前秦政権と天水尹氏」(『古代文化』53−5,2001年5月)
藤井秀樹「前秦における君主権と宗室」(『歴史学研究』751,2001年7月)
渡辺義浩「“寛“治から”猛政”へ」(『東方学』102,2001年7月)
関尾史郎「吏民田家別の性格と機能に関する一試論」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
阿部幸信「長沙走馬楼呉簡所見田種初探」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
小嶋茂稔「『丘』についての一試論」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
関尾史郎「長沙呉簡所見『丘』をめぐる諸問題」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
安部聡一郎「嘉禾4年・5年吏民田家別にみえる倉吏と丘」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
森本淳「嘉禾吏民田家別にみえる同姓同名に関する一考察」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
満田剛「長沙走馬楼吏民田家別に見える姓について」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
伊藤敏雄「長沙走馬楼簡牘調査見聞記」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
伊藤敏雄「長沙走馬楼簡牘関係文献・記事一覧」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
岩本篤志「北斉徐之才『薬対』考」(『東洋史研究』60−2,2001年9月)
川本芳昭「民族問題を中心としてみた魏晋南北朝隋唐時代史研究の動向」(『中国史学』11、2001年11月)
津田資久「陳寿伝の研究」(『北大史学』41,2001年11月)
大知聖子「北魏の爵制とその実態―民族問題を中心に―」(『岡山大学大学院文化科学研究科紀要』12,2001年11月)
渡邊信一郎「戸調制の成立―賦斂から戸調へ―」(『東洋史研究』60−3,2001年12月)
渡邉義浩「浮き草の貴公子何晏」(『大久保隆郎教授退官記念論集漢意とは何か』、2001年12月)
中村圭爾「東晋南朝における豫州・南豫州について」(大阪市立大学大学院文学研究科紀要『人文研究』53巻第2分冊、2001年12月
中村圭爾編『魏晋南北朝における公文書と文書行政の研究』(科学研究費報告書、2001年)
菊池大「後漢・孫呉・西晋時期の江南地域に見られる五連罐・神亭壺について」(『明大アジア史論集』6)
野田俊昭「両晋南朝の清議・郷論と天子の支配権力」(『古代文化』54−1,2002年1月)
前島佳孝「賀抜勝の経歴と活動―西魏前半期の対梁外交と関連して」(『東方学』103,2002年1月)
谷川道雄「中国前近代社会の基本構造試論」(『名古屋大学東洋史研究報告』26、2002年3月)
山下将司「唐初における『貞観氏族志』の編纂と「八柱国家」の誕生」(『史学雑誌』111−2,2002年2月)
川合安「六朝『謝氏家族墓誌』について」(『古代文化』54−2,2002年2月)
窪添慶文「北魏の議」(『中国の歴史世界ー統合のシステムと多元的発展ー』東京都立大学出版会、2002年2月)
松下憲一「北魏道武帝の『部族解散』」(『史朋』34,2002年3月)
渡邉義浩「九品中正制度における『孝』」(『大東文化大学漢学会誌』41,2002年
3月)
三崎良章「『大夏紀年墓誌銘』に見える『大夏二年』の意味」(『早稲田大学本庄高等学院研究紀要』20,2002年3月)
窪添慶文「北魏の太子監国制度」(池田温編『日中律令制の諸相』東方書店、2002年3月)
小林聡「漢六朝時代における礼制と官制の関係に関する一考察―礼制秩序の中における三公の位置づけを中心に―」(『東洋史研究』60−4、2002年3月)
室山留美子「中国墓葬文献目録(北朝)」(『大阪市立大学東洋史論叢』12,2002年3月
前島佳孝「西魏・蕭梁通交の成立―大統初年漢中をめぐる抗争の顛末―」(『中央大学アジア史研究』26(中央大学東洋史学専攻創設50周年記念アジア史論叢)、2002年3月
町田隆吉『吐魯番出土仏教寺院関係漢語文書の整理と研究』科学研究費研究成果報告書、2002年3月
川本芳昭「漢唐間における『新』中華意識の形成―古代日本・朝鮮と中国との関連をめぐって」(『九州大学東洋史論集』30,2002年4月)
戸川貴行「魏晋南朝の民爵賜与について」(『九州大学東洋史論集』30,2002年4月)
小林聡「西晋における礼制秩序の構築とその変質」(『九州大学東洋史論集』30,2002年4月)
中村圭爾「『風聞』の世界―六朝における世論と体制―」(『東洋史研究』61−1,2002年6月
岡部毅史「魏晋南北朝期の官制における『階』と『資』―『品』との関係を中心に―」
(『古代文化』54−8、2002年8月)


※2002年9月刊行以降は受け取り順に並べることとします。

川合 安「『宋書』と劉宋政治史」(『東洋史研究』61−2,2002年9月
福原啓郎「魏晋時代における九品中正制批判の議論に関する考察 訳注篇」(『京都外国語大学研究論叢』LR、2002年9月
佐藤 賢「北魏前期の『内朝』・『外朝』と胡漢問題」(『集刊東洋学』88,2002年10月
伊藤敏雄「李柏文書小考―出土地と書写年代を中心に―」(『中華世界の歴史的展開』汲古書院 、2002年11月)
安部聡一郎「後漢時代関係史料の再検討―先行研究の検討を中心に―」(『史料批判研究』4,20006月)
安部聡一郎「袁宏『後漢紀』・范曄『後漢書』史料の成立過程について―劉平・趙孝の記事を中心に―」(『史料批判研究』5,2000年12月)
安部聡一郎「党錮の“名士”再考―貴族制成立過程の再検討のために―」(『史学雑誌』111−10、2002年10月)
渡辺信一郎『北朝財政史の研究―『魏書』食貨志を中心に―』科学研究費補助金研究成果報告書、2002年12月
関尾史郎「條呈―トルファン出土五胡文書分類試論(J)(『東アジア―歴史と文化―』10,2001年3月)
関尾史郎「高昌国上奏文書管窺」(池田温編『日中律令制の諸相』東方書店、2002年)
関尾史郎「サンクトペテルブルグ蔵、Дх02683+Дх11074v初探―トルファン盆地の推理に関する一史料―」(『中国水利史研究』30,2002)
(関尾ゼミ)西北出土文献を読む会「トルファン出土漢語文書校訂稿(L)―アスターナ305号墓とその出土文書―」(『東アジア―歴史と文化―』11,2002年3月)
窪添慶文「従籍貫、居住地、葬地所見的北魏宗室」(『国際中国学研究』5,2002年12月,259〜282頁)
最終更新日: 2003/11/08

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