お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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耳塚寛明 書評集 (採集文献一覧へ戻る)
赤堀侃司/著 『学校教育とコンピュータ』 日本放送出版協会/刊

 学校教育にものすごい勢いでコンピュータが入りはじめた。ワープロや表計算ソフトの事務処理 的な便利さには異論がないが、「コンピュータ教育」にはアレルギーを禁じ得ない読者が多いに違 いない。
 この本は、高校教員の経歴を持つ著者が(現在東京工業大学教授)、「思考を活性化し、生徒 自らが進んで学習することを可能とする方法」のひとつとしてコンピュータ教育をとらえ、コンピュー タによる教育方法のオープン化(共有化)を願って出版したものである。
 たしかに現在のコンピュータ教育には、問題点が少なくない。「一人一人の進度に合わせた個 別学習システム」をキャッチフレーズとして登場したコンピュータは、先駆的な響きとともに、いくつ かの素朴な疑問も投げかけた。たとえば、教育という人間的な触れ合いを大切にする場に、なぜ コンピュータという機械を持ち込んだのか。先生方も忙しいのだからそんな機械に振り回されない で、本来の仕事をきちっとやってほしい・・・。
 さらに、コンピュータ・リテラシーに乏しい教員にとっては、現在の教材開発ソフトは扱うのが困 難であり、またそもそも機械の人間に対する気配りが少なすぎる。こうした問いは、機械と人間のあ り方に関する本質的な問いかけでもある。
 著者は、そうした批判をふまえながら、コンピュータ教育の限界を押さえつつその可能性を論じ ていく。
 しばしば誤解されていることだが、コンピュータが人間、教師に代わって教えるのではない。コ ンピュータが教育の場面で出来ることは限られているし、また限らざるを得ない。コンピュータ教育 は万能ではないのである。この限界を踏まえなければ、コンピュータに対する誤解や嫌悪が生ま れるだろうし、またコンピュータ教育のそもそも持っている可能性も見えてこない。著者の姿勢は、 この点で一貫している。
 そもそも学習は、直接体験と間接体験からなる。実物による直接体験学習とは、学習者が自然 や社会といった環境に直接働きかけることによる学習である。植物は植物に実際にふれて、はじ めてその特性を理解することができる。コンピュータの植物情報検索システムがどんなにイメージ スキャナによって取り込まれた画像を表示したところで、植物の学習にとって有効ではない。  コンピュータ教育は、間接的学習を可能とするだけである。直接体験がなく間接体験だけでは 確実に知識を構造化して身につけることは不可能である。近年、子どもの間接体験が多くなり、直 接体験が不足していることから、生活科などを通じた学習が促進されている。
 授業過程においては直接体験と間接体験の双方が必要であり、コンピュータ教育は間接体験 に主として関わることを、限界として理解しておかねばならない。
 といっても、本来学校教育とは、間接体験による(従来は文字メディアをとおした)人間、自然世 界、社会の「間接的な」体験の場であった。人類が長い歴史過程のなかで、各々直接体験してき たそのエッセンスを、共有させ、知的遺産を伝達する場が学校教育ではなかったか。もしヒトが直 接体験だけしか経験できないとしたならば、私たちの知的世界は、どうしようもなく狭隘なものにな ってしまうだろう。そして先人の失敗を単に繰り返すことになる。それゆえ、間接体験しかできない というのは、コンピュータ教育の限界でもあると同時に、可能性でもある。しかもその可能性は、コ ンピュータに限らず学校教育の可能性でもある。
 コンピュータとは人間の知的活動をモデルにした人工的機械である。私たちが通常行っている 知的作業にたとえながら、コンピュータの動作や教育方法を説明している。初心者にとってもわか りやすい好著である。

以上

1996年12月5日
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