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天野郁夫/著 『大学−変革の時代』 東京大学出版会

 いま私の手元につい最近発刊された3冊の大学カタログ(誌)がある。河合塾・東洋経済共同編 集『日本の大学’95年度版(530校の学生による実力判定)』『週刊ダイヤモンド4月16日号(人 事部長が本音で選んだ新・大学ランキング)』『リクルートムック’94・春号 大学選び新基準A→ Z』である。
 これらの大学カタログは生徒急減期における高校生の進路選択に大きな影響を与えるだけで なく、「大学改革の時代」の象徴でもある。
 大学は空前の改革ブームである。今日の大学改革は、18才人口の急減期を迎えて大学の生 き残り競争が激化してきたこと、そして91年の大学設置基準の大綱化による改革への外圧の高ま りによるものと説明されることが多い。だが、それは大学改革ブームの引き金に過ぎない。
 70年代はじめから後半にかけてわが国の大学は量的大衆化を経験した。大学・短大進学者の 割合は、70年の24%から76年の39%へと急上昇し、「マス高等教育」が成立した。だがそれは 量的な大衆化であって、大学の内部組織や教育体制がそれに対応して組み替えられたり変革さ れることなく、今日にまで至っている。この間に大学の内部に蓄積された、「質的変化」を要求する 構造的エネルギーこそが、今日の大学改革をさけがたいものとして私たちに突きつけている。これ が著者の主張である。
 改革はたしかに一種のブームとして登場してきた。それがブームである以上、大学改革熱もい ずれさめてしまうものかもしれない。しかし問われているのは、大学、高等教育の基本的な理念や 構造である。変革の必要性は、たとえブームが消滅してもなくなってしまうわけではない。この本が 試みようとしているのは、大学の理念や構造に対する問い直しの作業に必要な、問題点の整理と 提示である。
 本書は2部構成をとる。第1部は、「大学改革−いまなぜ必要か」にはじまり、大学評価、内部組 織、大学入試などにおける問題点を包括的に論じた総論。第2部は、それらについて論点をしぼ って扱った各論である。
 各論の中には、一考に値する問題提起が数多くみられる。たとえば、大学入学者選抜制度に おいて「多様化」はいまや「錦の御旗」的スローガンだが、この多様化によって大学入試の過熱に 歯止めがかかったという兆候はない。むしろ弊害が目立つ。高校生はより早目に科目選択を強い られるようになり、選択の自由が保障されるどころか、逆に選択の変更がいっそう困難になってし まった。
 より重要なのは、大学入試の多様化によって、これまで保障されてきた初等・中等教育の質が 低下してしまう危険があることである。いま必要なのは、入試の多様化ではなく、入学者の教育の 多様化であると、著者は指摘する。
 大学改革が、外圧だけの観点から必要なのではないという論点は、くり返しあらわれる。単純に 列挙しただけで、科学技術振興の必要性、大学入学者の質の変化、留学生の増大などによる国 際化、大学卒業生の学問と職業との距離の増大、社会人相手の生涯学習機関化の必要性等。
 こうした課題の解決にとって、大学の「自己評価」や第3者評価はたしかに効果的だろう。だが それはあくまでも調整的努力、微力漸進をうながすにすぎない。問題は資源や資金をどれだけ大 学に投入できるかにかかっていると著者は主張する。
 ここ10数年国立大学の予算はほとんど伸びず、私学助成も横ばいであった。改革は、学生数 が増大し収入も増え続ける拡張期のほうが容易だったはずである。にもかかわらず政治家は、い まになって大学=改革の時代と定義する。豊かであった時代に大学を置きざりにしてきた、そのツ ケは大きい。
 天野氏の著作は「寝転んで」読めることで有名だが、講演記録などを中心とした本書も例外で はない。

以上

1996年12月5日
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