| Sociology of Education
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天野郁夫『かわる社会 かわる教育――成熟化日本の学習社会像』有信堂
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この本の基本的な問題意識は《教育の構造改革》にあるといってよい。著者はわが国の経済と 教育とは、基本的な構造がそっくりにでき上がっているという。「ゆとり」のなさが経済にも教育にも 共通している。たえず息を切らせて走り続けているような状態を、なんとかしてより成熟した社会へ と移行しなければならない。サブタイトルの所以である。 ポスト臨教審のいま、けれども有力な改革の見取図が見えない状態にある。高校改革に限って も、6年制高校や、ごく最近の4年制高校など、高校改革の大きな見取図があるようには思われな い。部分的、断片的で、またたがいの関連性を欠いた教育改革ではなく、教育の構造の根本に 揺さぶりをかける衝撃力をもった改革、すなわち教育の構造改革が必要だと著者は主張する。本 書の考察の対象は学歴主義、学習社会など広範囲に及び、歴史的アプローチと国際比較という ふたつのメスによって現代日本の教育が分析される。第3章「新しい高校像を求めて」では、アメリ カのハイスクールを比較の鏡として日本の高校のユニークさが指摘され、「個性化」をキーワードと した構造改革の方途が模索されている。 教育改革を主題とした類書はそれこそ夥しい数が出版されている。この本がそれらの多くと一 線を画しているのは、「教育のいま」を社会科学的視点から解読した上で、将来像を描こうとする 姿勢だろう。著者は大学に籍を置く教育研究者だが、すべての研究者が同じ姿勢を持つとは限ら ないのが、まことに残念ながら教育アカデミズムの現状ではないかと思う。医学的知識や科学者と してのセンスを欠いた臨床医を想像して欲しい。おそろしくて診察してもらう気にもなれない。教育 改革や政策に対する教育研究者の発言は、医師の行為、診断行為に例えることができる。にもか かわらず教育の世界では、科学的分析、知識、センスを欠いた「私の教育改革論」が当の研究者 から披瀝され続けている。臨床医の仕事場と違って、教育研究者の提言は人の生死を直接左右 することはない。だからこそ長期的にはおそろしく有害である。 著者は教育社会学を専攻する東大教授。他に、『試験の社会史』『高等教育の日本的構造』な どの著書がある。 以上 1996年12月5日 |
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