お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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麻生誠『日本の学歴エリート』玉川大学出版部

 「エリート」とは社会的指導性を発揮する卓越した機能集団である。
 私たちは、通常この言葉を、優越意識をもった鼻持ちならない人々という意味をこめて用いる。 だが他方で、エリートは社会の発展や統合にとって要となる集団であるゆえに、その適度な量と高 度な質を維持していくことは、いかなる社会にとっても最重要課題のひとつである。卓越したエリ ートを社会が欲するのであれば、エリートの養成と供給の仕組を確立する必要がある。
 この本は、実証的データをふんだんに用いて、過去から現在にいたるわが国における学歴エリ ートの特質と形成を分析したものである。エリートの養成・供給機関として重要なのは、家族(階 級)、学校、試験制度、職業集団の4つだが、ことに高等教育機関の役割に焦点づけた分析が大 半を占める。各章の内容は次のようである。1.学歴エリートの虚像と実像 2.日本型学歴社会 の構造と病理 3.日本の教育と企業成長 4.大卒就職の社会史 5.大学と指導者養成 6.官僚はどのように形成されたか 7.現代日本におけるエリート形成 8.実学エリートの再評 価 終章.高学歴社会のエリート選抜
 わが国の学歴エリートの台頭と変質を分析した部分を取り上げてみよう。学歴エリートが最初に 現れるのは、明治維新後、近代的学校制度が成立し、また実力主義的な近代的組織化がなされ るようになってからである。明治から大正10年頃までの高等教育制度は、教育者、医師、官僚、 軍人を除いて、エリートの社会的選抜装置として大きな役割を果たしていなかった。以後昭和16 年までの間に、高等教育歴をもつエリートの割合は増加し、とくに専門的職業エリートのほとんど は高等教育学歴所有者で占められるようになる。
 高等教育制度がほとんどすべての職業分野でエリート選抜装置として決定的な役割を果たす ようになったのは、戦後である。戦前期には高学歴を要さぬエリートの存在が許されたビジネスの 世界も例外ではない。今日わが国の全エリートのうち、7割程度が高等教育学歴をもち、官庁や 大企業の官僚制組織を昇進してエリートの地位についた学歴エリートである。学歴エリートの歩む 道がエリートへの王道となり、その他のルートが傍系となったのは昭和30年頃のことだという。
 エリートの高学歴化は日本特有の現象ではない。日本の学歴エリートの特色は、第一に年齢が 高いこと、第二に中流・下流階級出身者に比較的多くエリートとなる機会が開かれていること、第 三に東京大学1校の占有率が高く、専攻が法学・政治学に偏り、また大学院以上の教育を受けた ものが少ない点にある。
 だが歴史的に増加のいっとをたどった学歴エリートも、昭和40年代終わりから減少傾向を示し た。それは高学歴エリートの数が不足したためではない。高学歴者の能力に一定の限界があり、 その能力では(まさに高学歴であるがゆえに)処理し切れない重要問題が社会に存在することの あらわれだと著者は見る。加えて、苛酷な、画一化された受験体制のもとで選抜される学歴エリー トの卵たちの能力、性格にマイナスの兆候が現れ、受験の弊害がよりよい人材の選抜を困難なも のとしつつある。結局、近代化に重要な機能を果たしてきた学歴エリートは、いまや現代の代表的 エリートの座を別のエリートに譲り渡そうとしているというのが、著者の問題の指摘であり予測であ る。そのため社会指導者の英才教育の計画化がーことに学校教育によるそれが不可欠の課題と なっていると指摘する。
 本書の限界は二つある。第一に、著者自身指摘するように、学歴エリートの形成を出身学校な どの外的属性から分析しており、学歴エリートの価値観やイデオロギー、能力などの内的側面の 分析がないことである。エリートをエリートたらしめる条件のひとつは、彼らが時代や社会が求める 指導的価値観や能力の体現者である点に求められる。とすれば、そうした学歴エリートが保持し ていたはずの価値観や文化の実相と、その形成過程について、とりわけ学校文化との関わりにお いて考察する必要がある。
 第二に学歴エリートの正統性にかかわる問題がある。学歴エリートによる支配を可能にしていた のは彼らの、能力や学力、合理的価値観が正統であるという人々の信念であった。だが今日、学 歴や学校教育の正統性はゆらぎつつある。学歴と実力は別、歪んだエリートのパーソナリティとい った形で痛烈になされる学歴社会批判は、そうした信念のゆらぎを如実に物語る。このゆらぎは 学歴エリートの生態、形成にいかなるインパクトを与えつつあるのか。第1章でじゃっかん触れられ ているが、次著ではこの問題が主題にされるのではないかと思う。

以上

1996年12月5日
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