| Sociology of Education
| |
|発言| シラバス |卒論・修論|耳塚寛明 経歴と業績|耳塚寛明書評集|大学院 院生紹介 OGの進路|
|
---|
セオドア・ローザック/著 成定薫・荒井克弘/訳 『コンピュータの神話学』 朝日新聞社
|
||
本書は、アメリカの文明批評家による、教育へのコンピュータの無反省的な導入に対する強烈 な警鐘の書である。人間は精神と肉体とを持つ存在であり、それぞれを代替する「機械」を私たち の祖先は発明してきた。産業革命による動力源の発明は、ヒトの物理的な肉体の力を飛躍的に高 めた。そしてコンピュータは、私たちの精神を近い将来必ず代替し、さらにはそれを超える知的存 在となると信じられている。 私たちの周囲には、機械翻訳、創作活動、法律的判断など、コンピュータの魅力的な近未来像 があふれている。教育の世界でも、個性的な教育を可能にし、さらには教師を超える教育を行うな ど、何かしら神秘的なコンピュータ神話が存在する。これらの神話に共通しているのは、「人口知 能」という言葉に象徴される、人間の精神とコンピュータとはともにデータ処理を行うシステムであ るという仮説である。 ローザックはこの仮説を鋭く突く。コンピュータが情報を処理するときにやっていることと精神が 思考をするときにやっていることの間には大きな違いがある。商業的な便宜主義の波に乗って学 校へ大量に進出したコンピュータによって、精神と機械を分かつ境界線がぼやけ、学校で称賛し 強化しなければならない人間の理性や想像の力が危険にさらされている。低級なコンピュータを 使った教育は、人間の精神活動をデータ処理であるとする過った観念を、「隠れたカリキュラム」と して知らず知らずのうちに子どもたちに教えこんでしまうと、ローザックは危惧する。 だが、技術恐怖症の先生方に簡単に溜飲を下げていただいては困る。ローザック自身、本書 の執筆にコンピュータ化されたデータベースを活用しワープロを用いたという。本書は現代社会に おけるコンピュータ神話とその地位に対する挑戦ではあるが、しかし敵は、素晴らしい発明であり 私たちの公僕としてのコンピュータ自身ではない。一部の無節操な主張を繰り返す崇拝者たちか らコンピュータを救うことも、本書の狙いの一つである。コンピュータ神話の崇拝と同様、技術嫌い もまた無益である。 以上 1996年12月5日 |
||
(採集文献一覧へ戻る) |
|教育社会学研究室トップへ戻る|
|お茶の水女子大学
|お茶の水女子大学ホームページ運営指針
|文教育学部
|人間文化研究科(博士前期)
|人間文化研究科(博士後期)
|研究室へのお問い合せ
|
Copyright(c) お茶の水女子大学 All Rights Reserved.