お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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耳塚寛明 書評集 (採集文献一覧へ戻る)
ピエール・ブルデュー/ジャン=クロード・パスロン著、宮島喬訳『再生産』藤原書店(1990)

 著者のひとりピエール・ブルデューは、フランス碩学の牙城といわれるコレージュ・ド・フランス社 会学教授。フランスのみならず現代を代表する社会学者のひとりである。
 ブルデュー社会学の主要なテーマは現代の社会階級分析にあるが、その著作は、教育社会 学をはじめ人類学、文化社会学、社会学方法論などきわめて多岐におよぶ。邦訳の副題「教育・ 社会・文化」から知られるとおり、本書『再生産』は、ブルデュー社会学のメスが教育制度へと向け られた、その集大成である。
 冒頭にこんな引用句が登場する。船乗りジョナサンがある島で一羽のペリカンをつかまえる。ペ リカンは真っ白な卵を産み、そこから親そっくりの姿の第二のペリカンが這いだす。第二のペリカ ンもまた真っ白な卵を産み、そこからお決まりの一羽が這いだして・・・。こうして果てもなく同じこと が続いていく。
 この本の根本的テーゼはそこにある。業績主義社会といわれる現代にあっても(じつはそれゆ えにこそ、なのだが)、上層階級出身の子どもたちが結果として、やはり高い社会的地位を手に入 れることが多い。階層的秩序、社会構造は再生産されているのである。だがこの再生産はペリカン の場合と異なり、生物学的な再生産メカニズムを通じて実現されるわけではない。もちろん世襲や 財産の直接的な相続だけによるのでもない。現代社会における「相続」は、文化的な再生産メカ ニズムを通して、すなわち学校制度の中ですぐれた学業成績を獲得し、さらに学歴資格を取得す ることによって可能となる。学校教育制度が社会構造の再生産に寄与しているのである。なぜ、そ してどのようにして選別システムとしての学校がそれを可能とするのか、これが本書の主題である。
 1970年代以降に現れた教育理論、学校論の特徴は、学校という制度やそこで教え込まれて いる知識、さらには学校教育で産みだされる人材を、いずれも「うさんくさいもの」、「正当性」がな いものとみることで共通している。批判的教育理論といわれる、アメリカのボールズ&ギンタス、ア ップルなどがそうであり、ブルデューもその代表的論者である。
 かつての学校観は、楽観的な学校崇拝によって特質づけられていた。たとえば学校というの は、生まれの不平等に拘らず、本人の能力と努力によって社会的な地位達成を可能とする「偉大 なる平等化装置」である。あるいは教育水準をアップさせることによって、経済的な生産性が増大 し、皆が豊かな生活を送ることができる。こうした楽観的な学校観は学校や教育に対する正当性 感覚をともなっていた。学校で教えられることは本質的に善である、有用である。だから学校で勉 強することは、当然奨励されるべきこと。長く学校教育を受けた人々は、高い地位に到達して当然 である、云々。
 ブルデューは、しかしこうした教育の幻想性を否定する。教育は平等などもたらさない。というよ りも、生まれつきの不平等をアカデミックな尺度の上での学力格差に移し変えることによって、不 平等を再生産する巧妙な装置だと、学校を性格づける。現代社会では、親の地位の差をそのまま 子どもに相続させることは否定されている。学校でのアカデミックな競争を通じて、親の高い地位 を子どもに相続させようとする。学校での成功は、本来業績主義的であって、能力と努力が反映 すると見なされる。だから学校で成功した人が高い地位を得ても、否定のしようがない。こうみる と、生まれつきの不平等を、正当性ある学力、能力の差に翻訳する浄化制度が学校だということ になる。人々の学校崇拝や教育への幻想、そしてそれによって保証される学校の自律性は、逆 説的だが、学校の果たす再生産機能を隠蔽し、それをもっとも効率的に行う、かっこうの条件を提 供する。
 実践的立場に立つ学校教員は、こうした学校論をどう読むべきか。それは読者の自由に委ねら れた問題だが、教師である限りマクロにながめれば、秩序維持や社会構造の再生産に加担して いる事実は否定できない。諏訪哲二(『反動的!』JICC出版局)の指摘するとおり、「問題はその ような立場性を通じてなにをするかだ」。
 本書は難解である。それゆえ読書案内を少々。本書第1部にはスピノザ流の命題→注解形式 により「象徴的暴力の理論の基礎」が提示されているが、よほど腕力に自信のある読者以外は、 第2部「秩序の維持」から読み始めたほうがよい。また本書と同じブルデュー・ライブラリにおさめら れた『ピエール・ブルデュー』(藤原書店刊、加藤編)をお薦めしておきたい。ブルデューが1989 年秋に1週間ほど日本に滞在した際の、講演および座談会の記録がおさめられおり、入門書とし て最適である。

以上

1996年12月5日
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