お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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耳塚寛明 書評集 (採集文献一覧へ戻る)
藤井良樹/著『女子高生はなぜ下着を売ったのか?』

 「ブルセラは流行ではない。ブルセラは世代だ」。
 この本は、決して風俗を売る際物ではない。実在のブルセラ女子高生30人以上に対するイン タビューと写真を交えた現場ルポ――本書を構成するこれらの素材は、まさに著者の「生きのいい」 フィールド・ワークの成果である。
 『ブルセラショップ』とはなにか。やや時代遅れの読者のために解説すれば、ブルセラの語源は 「ブルマー&セーラー服」であり、女子高生が着古した制服や体操服、使用済み下着をマニアの 男性向けに販売している店を「ブルセラショップ」という。どの店も、ブルセラビデオと呼ばれる自 主制作ビデオを販売しており、現役の女子高生が出演し、下着姿を見せたり、オナニーや排泄な ど過激な行為を演じるものもあるという。
 93年夏に、ブルセラ業者逮捕・摘発、ビデオ出演女子高生110人補導などが報道されて全国 的な注目を集め、「ブルセラ」は一躍時の言葉となった。
 もっとも本書によれば、使用済み下着はすでにかつてから通信販売されており、今日のブルセ ラショップが登場したのは1985年頃だった。ただし当時は、風俗関係の女性を雇って下着を履い てもらったり、たまに売りにくるにしても、20代以上の主婦やOLがほとんどだったという。この点、9 0年代以降のブルセラショップは、制服と使用済み下着の主要な供給源が、10代の女子、とりわ け現役の女子高生になったという意味で、新時代を画するものといえる。
 使用済み下着を供給する女子高生たちは、生活苦からやむにやまれず、あるいは業者から強 制されて、ブルセラショップに協力をしているわけではない。本書に登場するブルセラ女子高生た ちの声から聞こえてくるのは、彼女たちの「能動性」、つまり自らすすんで店まで売りに来るという 現実である。
 この能動性を、彼女たちの言葉で表現すれば、「100円で買ってきたパンツが1000円で売れ るんだもんねえ」「別に働くわけじゃないから。これほど楽なことはない」。ブルセラ女子高生も、デ ートクラブのマンションに集まってくる女子高生も、学校や家庭からはじき出されたいき場所のない 女の子だろうと考えると、この現象を見誤る。
 彼女たちは自ら進んで通っているし、学校や家庭からはじき出された少女たちなんかではな い。むしろ共同体の論理やルールといったものの中にどっぷりと浸かりきった女の子である。だか らこそ、自分が女子高生であることの価値を無意識のうちに自覚しているのだろうし、売春までは やらないのだろうし、不良少女にもならないと著者は指摘する。
 パンツ売りの少女たちは特殊な女の子であると私たちは考えたい。だがそれは違う。
 「こういう女の子たちは、一部の、それも特殊な例なんだと思われるかもしれない。”一部の女の 子”という言い回しは当たっている。しかしそれは、特殊な一部ではなくて、代表する一部なの だ。」
 彼女たちは、女性が商品としての価値を持っているということを前提として育ってしまった世代 である。そしてブルセラ女子高生とは、その状況に積極かつ能動的に参加していく意志を持った 少女たちである。冒頭で、彼女たちが「流行」ではなく「世代」だといった意味はここにある。
 この著者の観察が当たっているのならば、「ブルセラ女子高生」の生活指導は、困難をきわめ る。相手は特殊な背景を持った一部の女の子ではなくて、時代、社会そのものであるからである。
 わが校には、わが町には、わが県には、ブルセラ女子高生などいない。そう考える先生方が多 いと思う。しかし、先端的・象徴的現象が持っている普遍性を見る目を養う必要がある。多くの先 生に、彼女たちのリアリティを見つめてほしい。


以上

1996年12月5日
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