お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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藤田英典『子ども・学校・社会』東京大学出版会

 先日高校教員対象の講師をつとめた折、こんな質問を受けた。「教育を研究者が分析するの は、どんな意味をもつのでしょうか。」
 そこには教育現場に居あわさない傍観者である「研究者」が、自分たち教育のプロの営みを「分 析」することに対する苛立ちと不信が込められていた。読者にも同種の感想をもった経験が少な からずあるにちがいない。ことに、現場感覚が無視された一方的な批判を受けたり、無責任な「提 言」がなされた場合など、なおさらだろう。教育現場に責任を持たない者が、そこで日夜奮闘努力 する人々の営みを批判したり、傷つける発言は、原則として慎まねばならない。研究者のはしくれ としてそう思う。
 だが私は他方でこう考えている。たしかに研究者には現場で直接役立つ「処方箋」は書けっこ ない(分野にもよるが)。だからそれを目指した発言は問題を孕む。しかし教育現象を、日常的な 実践上の必要性から解放されて、マクロに観察する仕事は研究者にしかできない。
 この本『子ども・学校・社会』も教育現象の観察者である研究者の著作であって、しつけや教育 実践のノウハウを直接提供しようとするものではない。そのねらいは、社会の「構造的変容」を軸と して、その中で子どもの発達、学校教育、家庭教育のかかえる諸問題を捉らえ直すことにある。
 いうまでもなく子どもや学校は社会的な真空状態のなかに置かれているわけではない。さまざ まな社会的条件が、子どもの発達や教育のあり方に影響を及ぼす。にもかかわらず、学校の荒廃 や教育病理が話題とされるとき、教育の当事者である教師に批判が集中し、教師の自覚や努力 が強く求められる。子どもに生じている病理の全責任が学校と教師にあり、学校の中だけで問題 が解決すると考えられているかのようだ。だがこうしたスタンスは、ちょうど痛みを緩和するだけの 対症療法のように、病気の原因自体の治療には無力である。本書は、子どもの発達や教育病理、 さまざまな教育問題に、対症療法的に接近しようとするのではなく、その構造的基盤を明らかにし ようとする。
 著者のいう「構造的変容」とはなにか。そのマクロな枠組みにこの本の最大のメリットがある。現 代社会の構造的変容を読み解くキーワードは、<融接型社会>、<分節型社会>、<クロスオ ーバー型社会>の3つである。
 私たちの社会はかつて、遊びと学習と仕事が同じ空間で行われていた融接型社会であった。 それが、産業化と学校化によって、遊びと学習と仕事がそれぞれ別の専用空間の中で行われる <分節型社会>の到来をみた。学校は学習のための専用空間として他の空間から遮断されて発 達してきた。分節型社会は、遊び、学習、仕事を空間的に独立させるだけではない。それはライフ コースをも分節化した。青少年期は学業活動に専従し、成人期には仕事にもっぱら従事する。
 だが私たちが、いま、生きているのはもはや分節型社会ではない。それは「境界解体的変化」 によって<クロスオーバー型社会>へと移行しつつある。クロスオーバー型社会とは、これまでリ ジッドに分割されていた遊び、学習、仕事などの空間、ライフサイクルが、相互に入り組み重なりあ う社会である。たとえば情報化の進展は、学校の外に巨大な情報空間、学習空間を作り出すこと によって、学校と外社会を隔てていた「境界」をゆるがし始めている。それだけではない。クロスオ ーバー型社会は、男性役割と女性役割の壁をゆるがし、また青年期と成人期の間の権威関係を あいまいなものとする社会でもある。諸活動の境界が明瞭で、各活動の担い手も年齢や性別の境 界線に沿って明瞭に区分されていた分節型社会が、いまや揺らぎはじめている。
 こうしたクロスオーバー型社会への移行は、分節型社会に適合的であった学校教育や教育的 コミュニケーションの形式を不適切なものとする。教科書に代表される学校的知識は絶対的なもの ではなくなり、それを保持してきた教師の権威も自明ではなくなる。教師の権威の喪失は、学校の 規範形成力をも弱体化する。総じて学校教育の正統性の危機が訪れる。分節型社会の成熟は、 近代的学校教育の拡充と成熟の過程でもあった。だが成熟の末にたどり着いたクロスオーバー型 社会の入口で、皮肉にも学校教育はその正統性を問われることになったのである。
 著者は教育社会学を専攻する東大助教授。社会学的概念が酷使されているが、講演記録や 教育誌連載記事が含まれていることもあり、一般読者向けに読みやすく配慮されている。

以上

1996年12月5日
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