お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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耳塚寛明 書評集
亀山佳明『子どもの嘘と秘密』筑摩書房

 「うそ」とは「現実とは異なるフィクションを構成し、それを意図的に(すなわちわかっていて)使用 する行為である」。
 近代市民社会は、うそを忌避する社会である。ワシントンと桜の木を思いだせばよい。うそは私 たち大人の信用を失墜させるだけでなく、とりわけ子どもにとって忌避されるべきものと考えられて いる。イソップ物語のオオカミ少年や、うそを吐くと地獄へ落とされて鬼に舌を引き抜かれるといっ た話を大人たちは子どもにする。だが、一見当然で正しい、この子どもの世界からのうその追放と いう事実の中に、著者は「危険」を見る。
 子どものうそは、次のふたつの特徴を持ったものとして性格づけられるという。ひとつは「遊びの 性格をもつうそ」、いまひとつは「防衛の機能をもつうそ」である。前者は、例えば自らを怪獣とたた かうウルトラマンに擬する空想の遊びであり、それは子どもに世界の充実感と自己の全能感を保 障する機能を持つ。一方、防衛的なうそとは、子どもの自我の成長にかかわるうそである。子ども は、親から庇護され監視される対象であると同時に、親から自律した存在となるべく成長すること を求められている。彼らは母親の眼鏡にかなわないガールフレンドができたり、秘密の遊び場所 を作ったときに、このタイプのうそをつく。それは、自己の自由を守り、自我を成長させるためには 欠かすことのできない防衛のためのうそである。
 なぜ近代社会は、正直モラルを子どもたちに注入し、うそを強く忌避するのか。自律的な人間 にうそは不用であり、ルールの厳守という社会規範に対する重大な侵犯を意味するからである。し かし、子どもに対するうその忌避は、同時に、うその持っていた、子どもの自律や自我の発達を円 滑に促す機能をも奪うことになる。ここに、うそをめぐる近代社会の逆説とともに、子どもの危機が 存在する。
 この本は、いま一部を紹介した子どものうそをめぐる3部作のほかに、発表当時から評価の高か った「社会的オジの不在」など11篇を収める。著者自身子どもの社会学的人間学を目指している というが、子どもを切り口とした、近代社会と教育を問うた告発的作品集に仕上がっている。

以上

1996年12月5日


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