お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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耳塚寛明 書評集
苅谷剛彦『学校・職業・選抜の社会学――高卒就職の日本的メカニズム』東京大学出版会(1991)

 いま先進諸国のかかえる深刻な悩みのひとつが、高等教育へと進学しない者たちの失業問題 である。OECD加盟のヨーロッパ諸国における成人失業率(1987年)は10.6%、15から24歳 の若年失業率は、それをはるかに上回る。アメリカの10代の若者の失業率も、1988年で15.8% に達するという。
 高校を卒業して大学へと進学しない若者たち、彼らは転職と失業を繰り返しながら労働市場を さまよう。かりに職にありついたとしても昇進のチャンスは乏しく、職業技能を修得する機会にもめ ぐまれない。しかも先任権制度が支配的なアメリカでは、勤務年数の短い若者からレイオフが行 われる。概して高卒就職者たちは世間から「忘れられた存在」であり、彼らをまっているのは、そう した厳しい職業生活である。
 わが国ではどうか。たしかに諸先進国と同様、世間の注目をより集めてきたのは、高校卒業後 進学していく若者たちであり、就職者や彼らの就職行動自体は、やはり忘れられた存在であっ た。だが、高校卒の若者たちの失業が社会問題化したことは(少なくとも量的にとらえた限りで は)、ほとんどなかったし、もちろん現在もそうではない。諸先進国との対比でいえば、わが国の高 卒就職者たちをまっているのは、安定的な職業生活である。なぜ、こうした差異がうまれるのか。
 その背景には、日本経済の高度成長がもたらした労働力の慢性的な不足状態があることは間 違いない。しかし、それとならんで若者の「学校から職業への移行」の日本的メカニズムの中に、 重要な秘密が隠されていると著者は見る。そしてそれが同時に日本経済の高度「成長」を支えた 要因でもある。アメリカとの比較社会学的手法を用いて、この教育と経済との接点における、日本 的秘密に迫ったのが本書である。
 では、若者の学校から職業への移行における日本的特徴とは何か。まえがきに書かれた、アメ リカの高校のカウンセラーの発言を引くのが手っ取り早いだろう。
「就職する生徒に学校全体で仕事を斡旋するという体制は、この高校にはありません」
「カウンセラーの主な仕事は、進学する生徒たちに大学についての情報を与えること。学校が組 織的に、就職する生徒たちの面倒を見るようなことはしません。生徒はみんな自分で仕事を見つ けていますよ。」
 これに対して日本はどうか。すでに読者の先生方には常識だろうが、企業からの求人票の受け 付けに始り、生徒との個人面接、学校推薦会議、企業の選考試験の受験を経て、採用内定まで、 日本の高校は生徒の就職過程の一部始終に深く関与している。しかも教育的な配慮のもとに就 職先決定までの進路指導が行われている。その特徴を著者は、端的に「学校に委ねられた職業 的選抜」と表現する。それは学校が生徒の就職行動に直接関与しないアメリカと鋭い対比をな す。この日本的特質が、企業にとっては安定した労働力の供給源の確保に結びつき、高校にとっ ては卒業生の進路の確保をもたらしてきたことは容易に想像がつく。
 学校に委ねられた職業的選抜のもつ、いまひとつの特徴は、それが生徒の学業成績を重要な 選抜基準として進められるという点である。そもそも企業は、高校の学力ランクを主な基準に学校 別の求人枠を設定する傾向があるが、学校の中での各種の就職先をめぐる生徒の選抜もまた、 学業成績を主たる基準として行われる。遅刻や校則違反経験などの「性格特性」を表す生活面で の評価は、教師の公的な意見表明や生徒の意識とはうらはらに、実のところそれほど重要な規定 要因とはなっていない。
 進学者の選抜ではなく、就職者の選抜において学業成績がこれほど重視されているという事実 は、どのような帰結をもたらしてきただろうか。著者の結論は、基礎的な知的能力、能力主義(メリト クラシー)のエートス、規律ある態度といった、役に立つ労働力としての特性をノン・エリートたちに 与えることによって、すぐれた大衆労働力の形成と配分に寄与してきた。すべての者を産業社会 の活性化にむけて巻き込んできたのである。こうして学校に委ねられた職業的選抜は、産業社会 ・日本の成功を支えた、きわめて重要な社会装置として特質づけることができる。
 本書は、ある県をフィールドとしたモノグラフに基づいており、経済理論、社会理論の検討ととも に、高度な統計的技法が駆使された純学術図書である。けれども、そうした学術的理論、分析技 術にくらい素人でも、まったくとまどうことなく、引き摺り込まれるように読めてしまう。経済と教育と の接点に位置する「高校生の就職」という、ともすれば日陰の現象に光をあてることによって、日本 社会が備えている巧みなメカニズムを浮彫りにした好著だと思う。

以上

1996年12月5日


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