お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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耳塚寛明 書評集
苅谷剛彦『アメリカの大学・ニッポンの大学』玉川大学出版部

 この本はタイトルから知られるように、大学教育の日米比較を試みたものである。「ティーチング ・アシスタント制度にみる日米大学比較考」「新米教師のアメリカ学級日誌」「大学における学力問 題」などの諸章は、著者自身のアメリカ留学や大学院での授業経験をふまえた、非常に読みやす い大学教育論に仕上がっている。
 この本は同時に、高校教育論(日米比較)でもある。「高校から大学へ−高校間格差とトラッキ ングにみる入学者選抜の違い」(5章)はもちろん、各章には高校教育に関する考察が数多く含ま れている。
 生徒数3,576人、黒人率35%、教職員274人、広大なキャンパス。200以上の選択科目、興 味・関心・進路に見合った教科の選択、選択を援助するガイダンス・カウンセラー。
 これらは、シカゴの郊外にある典型的な総合制高校の姿である。これを読んで、ある人はその 学校規模に驚くかもしれない。教科選択が生徒に委ねられていることをうらやましく思うかもしれな い。やはりカリキュラム選択を援助するカウンセラー制度を日本に導入すべきだと考える人も多い だろう。
 私たちは、ことにアメリカの教育システムのメリットに強いあこがれをいだいており、システムを輸 入して日本の教育に適用しようと考える。
 だがそれは、制度や組織のおかれた背景を無視した、身勝手な期待に陥りやすい。著者はい う。「ひとつの教育実践は、それを包み込む歴史的、社会的コンテクストのなかで、その実践に特 有の意味と役割とを与えられている。」だから、教育実践を「輸入」するときには、もともとの実践が 生み出されたコンテクストと、それが移し替えられる新しいコンテクストとの違いを、明確に意識し ておかねばならない。
 たとえばガイダンス・カウンセラーがアメリカで制度化されているのは、ひとつには、わが国のよ うに標準化・中央集権化されたカリキュラムが存在せず、その代わりに生徒の自主的な「選択」が 重視されるからであり、膨大な選択科目からの選択になにがしかの助言が現実的に不可欠だから である。この理解を欠いた制度や実践の導入は、弊害を生むことすらある。生徒の幅広い自由選 択を保証することは、その裏側で、大学への受験資格を欠く等の誤った選択を生んでいるという 事実にも注目しておかねばならない。
 この本が教えてくれるのは、そうした、教育を構造的にとらえる発想方法である。従来の教育書 が、ともすれば教育に関わる個々人、とりわけ教師の奮励努力を強調する「教師ガンバレ読本」に 陥っていたとすれば、本書の性格は「教育の社会科学読本」である。
 この本を読者にすすめたいのは、単にそれが出色の高校教育論だという理由だけではない。 ちょっと立ち止まって、自らの実践を「社会科学」する姿勢を読みとって欲しいからでもある。

以上

1996年12月5日


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