お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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耳塚寛明 書評集
竹内洋・徳岡秀雄/編『教育現象の社会学』 世界思想社

 冒頭の竹内洋論文「学校効果というトートロジー」は、こんな問いかけからはじまる。
 宝塚歌劇団員の養成学校である宝塚音楽学校。入学競争率40倍、この分野での超独占的 有名校である。いま仮に「京都音楽学校」を創設して歌劇団員の養成を試みよう。結果は失敗 に終わる。すぐれた資質をもった子は宝塚音楽学校を選ぶ。その上、施設、カリキュラム、教員の いずれもが新設京都音楽学校は劣っており、それゆえ卒業生の質に大きな差が出て、京都音楽 学校は敗北を喫する。
 この挿話は、高校格差ががっちりとした学区で新設校が負けてしまうという、高校教育でもお馴 染みの話である。なぜ京都音楽学校や新設高校は、宝塚音楽学校や伝統的名門高校に負けて しまうのか。先の話の説明論理は、インプット(生徒の質、カリキュラム、施設、教員の質...)が違え ば、アウトプット(卒業生の質)に違いが生まれるというものである。
 学校での教育効果を説明するのに私たち教育科学研究者が採ってきた説明論理は、単純に いってしまえばこのような常識的なインプット−アウトプット分析をこえるものではない。教育関係 者(研究者以外の)ももちろん先の説明図式を納得するだろう。  否、研究者の面目をかけてもう少し続けよう。私たちは、インプット−アウトプット分析を「越えて」 もう少し複雑な説明論理を開発してきた。それは、インプットとアウトプットの間に、「スループット」 を設けて説明する方法である。
 仮に何らかの方法で京都音楽学校に宝塚音楽学校と同じ質の高い生徒を集め、カリキュラム、 施設、教員も宝塚に劣らないものを準備できたとしよう。インプット面で遜色ない、この場合でも新 設京都は宝塚に負けてしまう。なぜならば、ふたつの学校には「隠れたカリキュラム」(校風や伝 統、言明されないけれども無意識に伝達されるカリキュラム)において大きな差があるからである。 生徒の質は同じ、施設、設備、カリキュラム、教員でも差がない−にもかかわらず隠れたカリキュラ ム(スループット)によって、名門校はすぐれた教育効果をあげるというのである。  じつは、インプット・アウトプット分析にせよ、スループット分析にせよ、教育効果をめぐる常識的 説明や教育研究者の説明論理は、この本の中で、けんもほろろにやっつけられてしまう運命にあ る。
 先のちょっとばかりすすんだスループット分析に話を戻せば、この説明は、たしかにインプット・ アウトプット分析が軽視してきた学校の内部過程に着目させる重要な視角だが、学校の教育効果 の原因を「学校の中」にのみ求めている点で、決定的な誤謬をおかしているーという具合である。  教育関係者、そして教育研究者は、それがポジティブな場合でもネガティブな場合でも、青少 年に生じた変化を、教育自身によって説明しようとしてきた。説明できるとしてきた。この本が突い ているのは、そうした教育過信の説明図式、物語に他ならない。  「社会学者は教育の神話をあまりに信じているので教育が神話であることを見抜けない。また神 話としての教育というかたちでの分析ができない...教育を近代社会の宗教として考えることが重要 である」(Meyer, J.)
 この本は、京都大学教育学部の柴野昌山教授の退官記念論文集として編まれ、教えを受けた 研究者たちが執筆している。テーマやアプローチはさまざまだが、いずれも竹内論文に見られる ような、「教育という宗教、神話」に対する毒を含んだメッセージを含んでいる。教育研究者にとっ ては触れたくない論点に満ちたこの本を、それ以上に「宗教」に関わっている現場の先生方は、ど う読むのだろうか。

以上

1996年12月5日


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