お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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耳塚寛明 書評集
森隆夫『社会的望遠鏡・顕微鏡』ぎょうせい

 この本は、自由闊達、ユニークな教育論で知られる森隆夫氏の、最新教育評論集である。本の タイトルがまず意表をついていて、まことに氏らしい。こうした魅力的なキーワードは、各章・節のタ イトルにもみることができる。いわく「学校五日制は生涯教育の応用問題」「油断教育論」「『親切の 機械化』と『人間の不親切化』」「暮しは低く、思いは高く」などなど。
 この本で氏がもっとも主張したいのは、タイトルに表現した「知の方法論」だろう。では、「社会的 望遠鏡・顕微鏡」とはどんな方法論だろうか。それは見えざるものを見る、思考の方法論である。 遠くにあれば見えない、近くにありすぎても見えない、それらを見る道具が望遠鏡であり顕微鏡で ある。
 これらの道具は、しかし著者によればもっと多次元的な意味を与えられている。社会的顕微鏡 のキーワードは専門性に支えられた分析力、社会的望遠鏡のキーワードは学際的な総合力。両 者はそれぞれ「批判」と「創造」をも意味する。著者にとって社会的顕微鏡と望遠鏡による教育の 観察は、「思考の二刀流」「デュアル思考」の実践でもある。宮本武蔵の『五輪書』にある「遠き所を 近く見、近き所を遠く見る」という精神の実行である。
 森二刀流の切れ味は、さまざまな教育現象、教育言説で試されている。中教審答申などの政 策や、教育におけるニューメディア活用などの新しい教育動向に対してデュアル思考を適用した 第1章「誤解の蓄積」、学校五日制を集中的に論じた第2章「五日制ショック・五日制効果」、社会 変化に対して教育が「事前に対応」すべき課題を考察した第3章「文明社会の教育の十の大罪」、 それらが二刀流道場である。
 氏の知的作業を要約的に整理してみると、そこにはいくつかの基本的主張が見えてくる。第一 に「実践の方法論」の重視である。たとえば中教審報告の最大の問題は、受験競争の克服に対 する国民の意識変革の必要を説きながら、その意識改革の方法に触れていない点にあるという。 (ご高説はともかく)要するにどうしたらよいのか。それが森教育学の基本的問いである。
 第二の主張は、「理想状態」重視である。子どもたちを現在の心的抑圧から解放すべきという議 論は多々あるものの、では解放の後どうするかまで考察したものは意外に少ない。解放は現状批 判の言説だが、実践的にはそれにとどまらず「理想状態」を明確にしてそこへと到達するためのプ ログラムを要する。そのためには批判を越えた理想が必要である。
 評者ら若手?からみると、研究者は「どうすべきか」ではなく、「どうあるか」の分析で勝負すべき だと思う。「知らなければ動かせない」からである。だが氏にとってそうした研究者アイデンティティ はおよそ無縁である。専攻する教育行政学をマクロの「実践」学と位置付け、理想状態を定義しつ つそこへいたる実践的方法論を問い続ける氏の姿勢は、多くの教育実践者の味方だろう。
 森氏の講演会では聴衆が腹を抱えて笑い、またほとんど例外なくニコニコした表情で会場を後 にする。あの笑顔は、閉塞的な教育現場に敢然と立ち向かう勇気を、聴衆が与えられたことを意 味する。
 この本も独特のユーモアに富んだ逆説的論理展開に読者は思考をかき乱され、最終的に適度 の頭の体操をした心地好さと勇気を与えられる。もっともこの知的興奮は一過性でかえって懐疑 的になる向きもあるかもしれない。それはそれで森流デュアル思考が、何よりも知的刺激を与えて くれたことの証左である。

以上

1996年12月5日


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