お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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耳塚寛明 書評集
村崎芙蓉子/著 『カイワレ族の偏差値日記』 鎌倉書房

 著者は循環器内科の女医、物語は次男坊けんの高校進学のための父母会に始まる。朝から すばらしい天気だった6月7日、それまでPTAにもほとんど参加したことのなかった著者は父母会 に出かけた。担任に会うのはその日がはじめて、進路父母会の開催も偶然に知ったのである。担 任からわが子の偏差値では、都立高校もうーんと下のほうにしか入れないことを知らされ、仰天す る。6月7日は偏差値記念日、受験との格闘が始まった。
 次男坊けんは、決して秀才ではないが、ひどい鈍才でもない。昔流の言い方をすれば、「どん ぐり」の背くらべクラスの子ども、いや今の子どもだから、どんぐりではなく「かいわれ族」である。
 並みで結構、成績のことなんか何にも気にしていないなんて顔をしていた母親が、偏差値競争 に巻き込まれる。教科書と指導書を入手する。おじいちゃんの部屋を改造して机を並べ、勉強を 直接指導する実力行使に出る。参考書、問題集を買い漁り、受験情報を収集する。「個々の能力 は受験勉強で開発されるか」「個々の特性が受験勉強で損なわれないか」ーそう考えていた化け の皮がべろりべろりと剥けていく。しかし、国語の教科書にのった短編や詩を読んで著者は誰の 勉強だかわからないくらいに興奮し、因数分解を息子よりも先に解けて、飛び上がって喜ぶ。他 方、勉強を強制する母と子の間には、親子関係の危機も訪れる。
 受験競争の弊害を指摘する主張は枚挙にいとまがないが、現実が「変だ」ということを最も切実 に訴えることができるのは体験者である。本書は心ならずも受験競争に巻き込まれ、そして人一倍 頑張ってしまった母親が訴える警告の書である。こうした日常的な偏差値体験をした人々は膨大 な数に及んでいるはずなのに、事態を改善する術を私たちはもっていない。この偏差値競争は、 それほどまでに勝者の利が大きいのか、それとも社会的必然性が大きいとでもいうのだろうか。

以上

1996年12月5日


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