お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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耳塚寛明 書評集
大橋幸編著『校長の社会学』ぎょうせい

 本書は『講座・校長学』全5巻の中の第3巻である。本誌の読者層を考えると講座全体の紹介も 有益だと思われるので、まずは概観しておきたい。
 刊行のことばの冒頭にこうある。「管理とは『偉大な常識』である。」この講座のタイトル自体、『校 長のための偉大なる常識講座』としたいくらいだったという。ではなぜ、管理が偉大な常識なのだ ろうか。
 一般に「管理」というと法律学、経営学などの専門的学問を連想する人が多い。しかし、世の中 は「常識人」で構成され、常識人で社会が動いている以上、そうした常識人をまとめる管理職に は、それを上回る常識、すなわち「偉大な常識」があればつとまるということになる。それゆえ管理 =偉大な常識である。
 全5巻は、第1巻から順に『校長のリーダーシップ学』(以下「校長の」を省略)、『−心理学』『− 社会学』『−法律学』『−体験学』と構成され、各巻には同一の編集方針が貫かれている。それ は、
1)各専門的学問から見た校長像の解明
2)校長として心得ておくべき、学問的知識
3)各学問領域における基礎的用語解説と文献紹介
の3つである。こうした構成はユニークであって、本講座の総合企画を担当した森隆夫氏の実践 的アイディアにはいつもながら舌を巻く。
 第3巻『校長の社会学』も、かかる基本方針のもとに編集されている。第1部「社会学から見た校 長の役割」では、官僚としての校長像、教育者としての校長像に社会学的な光があてられ、また 校長と教員の社会的地位、職業としての教職の特徴が明らかにされている。校長を官僚制組織 の管理者と見る視点や、教職を既成専門職と同様の意味において専門職と見ることの困難さへ の言及は、現職教員にとって新鮮かもしれない。
 続く第2部は「校長が知っておきたい社会学」である。ここでは非常に幅広い一般的な社会学 の中から、とくに校長が常識として知っておくべきテーマが選択的に論じられている。採り上げら れているテーマは、「国家と教育」「国際化と教育」「集団・組織・リーダーシップ」「家庭と学校」な どである。とりわけ「学歴社会化と教員の地位向上戦略」(第2部第2章)は力作で、人材選抜とい う教育に課せられた社会的役割、日本型選抜の特徴、高学歴化と社会的平等の関連、教員の地 位向上戦略としての専門職化などが論じられている。いずれも今日社会問題化したテーマであ り、なかには校長や教員からみたら従来の常識とは異なる「非常識」な見解がいくつか含まれてい る。
 本書、そして講座・校長学は、結局のところ『管理職のための教職教養のリニューアル講座』と 言い換えてもよいだろう。事実、本講座の内容は、それぞれ現在の教員養成課程における、教育 心理学、教育社会学、教育法学・教育行財政学・教育経営学などに類似している。およそ30年 前に養成課程で仕入れた知識をリフレッシュするために、本講座を手に取るのも意味あることだろ う。
 教職を医師と比べたとき気付くのは、医師にとっての基礎医学との交流が、教職の場合は概し て欠如しがちなことである。しかも、医師が診察と治療の際に依拠する科学的知識の体系に相当 するものが、教師にはない。この主要な原因は、マニュアル化し難いという教職固有の特性と教育 科学の貧困に求めることができる。こうしたことの結果として、教師の仕事は経験と勘に依拠した芸 として存在するほかはなく、現場密着的な専門的狭量さから脱却することが困難な状況におかれ てしまう。
 この意味で本講座は、現場密着型実践主義を、より広い視野からとらえなおすーつまり偉大な る常識を獲得する契機となる可能性をもっている。ただし、一読して感じるのはやはり教育諸科学 の頼りにならない惨状である。それはこの講座に『校長の教育学』の巻を欠くことが、端的に物語 っていると思う。

以上

1996年12月5日


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