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奥野卓司『パソコン少年のコスモロジー』 筑摩書房
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評者自身、電子メディアの進歩の恩恵にずいぶん浴している。この原稿自身、パソコン・ワープ ロで執筆し、電話回線を介した通信ネットワーク・サービスによって、小学館のファクシミリに電送 する。数年前なら想像すらできなかったこうしたメディア技術の進歩は、ヒトにどのような変化を迫 るのだろうか。 この本の著者にとって、電子メディア装置が普及した近未来社会を予見するための方法論が、 パソコン少年の文化人類学である。若者の遊戯は、その社会の近未来的文化を先鋭的に示す予 兆である。情報社会を人類学するためにパソコン少年の観察を行う理由もまさにここにある。パソ コン少年とは、「非職業的に遊戯として、パソコンを操作する活動が、生活の中心となっている」若 年層の者たちである。 パソコンなどの新しいメディア装置の出現を、従来のテクノロジーの直線的な進化として位置づ け、より「便利になる」とか効率といったことでしか評価しない人々が多い。著者はこうした常識的 見解に真っ向から挑み、新しい情報メディアの出現は、つねにそれまで通用してきた人々の常識 やコスモロジー(宇宙観)を崩壊させるという立場にたつ。 ではパソコン少年から予見される、電子メディア時代のコスモロジーはどのようなものか。そこで はヒトはコンピュータによってつくられた仮構としての「現実」の中で浮遊し、マユ(繭)・コスモロジ ーを発達させる。ヒトは情報のマユに囲まれたさなぎ。自分の好きなときに、居心地のよい自分の 部屋から、外の社会と情報のみでつながって生きて行ける。電子メディア装置は効率的なコミュニ ケーション手段として人間関係をより密接にするための道具になり得るが、近未来社会のヒトは、 たった一人で、かいこのさなぎのように情報の中に包まれていることを好む。マユの集合としての 世界にもはや社会はない。 いまはたしかに少数派のパソコン少年の観察をとおして、著者はこうしたマユ・コスモロジーが 普遍化した近未来社会を予見する。洞察力に富んだ考察に思わず読まされるが、やや議論の飛 躍する箇所があって残念である。 以上 1996年12月5日 |
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