お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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耳塚寛明 書評集
柴野昌山ほか『しつけの社会学』世界思想社

 現代は、「しつけ喪失の時代」といわれる。何を基準にどうしつけをしてよいのかわからない親や 教師が増加しているという。「しつけ」は教育学はもちろん民俗学、文化人類学など多くの学問分 野の共通テーマだが、本書は教育社会学からのしつけに対する新しい接近の成果である。幼稚 園を対象とする観察、面接や育児書の分析など、実証的方法を駆使して、しつけ行為、しつけ思 想・イデオロギーにマクロ・ミクロの双方から検討が加えられている。
 本書はいくつかの注目すべき特徴をもつ。その第一は、児童中心主義に支配された現代のし つけ状況の矛盾、逆説を浮き彫りにしていることである。親や教師が無意識にであれ依拠してい る知識は、児童中心主義のそれである。レディネス、ニーズ、遊びなどをキー概念とする児童中心 主義は、外部からの一方的な注入を排して子どもの自律的・内発的可能性に期待する。それは 新中産階級に特徴的な、次のような「見えない教育方法」でもある。(1)隠示的統制(統制が明示 的ではない)、(2)自己制御(子どもの選択の自由を許容する)、(3)型の喪失(特定の技能の伝達 や修得を強調しない)、(4)基準の解体(しつけの評価基準が、しつけ目標の多様性、曖昧性ゆえ に個別的状況的になりやすい)
 ここに児童中心主義的しつけのジレンマが立ち現れている。子どもに何をどう伝達すべきかに ついて確定的な枠組みを、しつけ手、受け手の双方が認識できないのである。それは、親や教師 のしつけ上の不安の源泉であり、子どもにとっては何が望ましい行動様式かを見えなくする。  本書の第二の特徴は、「かくれたカリキュラム」への着目である。幼児教育やしつけで伝達され るのは教科書に代表される知識だけではない。しつけの過程に入り込んださまざまな言明されな い、かくれた要素も子どもに伝達・受容される。たとえば、性役割は明確にしつけ目標として定義 されていないが、かくれたカリキュラムによってたしかに性に応じた社会化が行われている。
 児童中心主義のしつけは子どもの自由を尊重し「自分で考えて行動しなさい」という。だが、実 際のしつけ場面で子どもが統制されていないかといえばけっしてそうではない。見えない教育方 法であるだけにかえって、使いやすい処方的な準拠枠が求められてしまう。児童中心主義が実践 場面では親・教師主導型の「子どもを一定のカテゴリに押し込めてしまう」しつけ行為をもたらすー このパラドックスを読み解くカギは、かくれたカリキュラムの解明にある。
 本書では最近学界で旋風を巻き起こしつつある「新しい教育社会学」「解釈的アプローチ」や 知識社会学の立場が強調されている。本書の第三の特徴はこの理論的・方法論的背景にある が、それゆえに一般の読者には難解な理論的議論が多い。しかし、読者は現代のしつけの逆説 的な困難さの構図を鮮やかに理解することが可能だろう。本書は、最近の教育研究書の中で、理 論的な挑戦と方法的な冒険に富み、かつ実践的な関心にも応えることができる、注目すべき1冊 だと思う。

以上

1996年12月5日


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