お茶の水女子大学教育社会学研究室
Sociology of Education

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耳塚寛明 書評集
矢野眞和『試験の時代の終焉 選抜社会から育成社会へ』有信堂

 「教育の経済化と経済の教育化」という逆説的な副題のついたプロローグが、のっけから読者の 興味を引きつけて離さない。「教育問題は損得勘定で考えてはいけない、教育に経済はなじまな い」と私たちは考える。だが著者はいう。「現実は・・・なじみすぎているのである。このことが問題に されるべきである。」なぜか。
 わが国の教育は経済効率的に編成され、逆に経済が教育的に編成されている。前者の象徴 が、試験ではかられる競争的な教育の世界である。学校は品質管理が完備された、まるで工場で ある。逆に、わが国の経済は人をどれだけ育てられるかという教育的な営みであり、工場は教室に 近い。
 いま必要なのは、教育の世界に経済を見る、経済の世界に教育をみる、複眼的かつ重層的な 態度である。その態度からいま日本の社会が解決すべき課題が見えてくる。著者はこうした視座 を特徴とする「教育経済学」のメスをもって現代日本社会を切って見せる。
 結論を先取りしていうならば、人々を選抜する競争的な「試験の時代」は終焉した。人をどれだ け育てられるかという「育成社会」の構築が、豊かな社会になすべき課題である。本書は、この結 論にいたる過程を、教育経済学的な実証研究を積み重ねることによってたどった「おもしろい本」 である。
 教育が経済化しているというのはどういうことか。いまの日本の教育の世界は、経済以上に経済 市場モデルがぴったりあてはまってしまう社会だという。経済市場モデルとはふたつの前提のもと に成り立つ。
 第一に、生産者は利潤を最大化しようとし、消費者は効用を最大化しようとするという前提。第 二に完全情報の前提。人々が損得勘定で行動しようとしても、それを判断する情報が完全に提供 されなければならない。経済の場合、商品の質を代弁するはずの価格が、情報である。これらの 前提がみたされて、はじめて完全な市場競争が実現し、資源が無駄なく効率的に配分されること になる。だが、実際の経済の世界では、価格が商品の質を必ずしも代弁しないなど、少なくとも絵 にかいたような市場競争モデルは成立しているとはいえない。
 教育の世界ではどうか。第一の前提については、消費者である生徒も供給側である大学・学校 側も、共通の動機をもつ。生徒や親は投資的な利益を教育に求め、大学側は威信(生徒の質を 表す偏差値)を最大化しようとする。
 第二の情報はどうか。教育の場合情報は試験とその結果の偏差値である。生徒の質は偏差値 に反映されており、それが高いほど、消費者(生徒)の利益も生産者(学校)の利益(威信)も高い と信じられている。情報は、受験産業のもとに見事に完備され、完全情報、完全競争市場が教育 の世界に成立している。こうして教育の世界は、経済学の教科書が描く理想の世界に、経済以上 に近い状態にある。
 教育の経済化の完成は「試験の時代」の完成を意味する。教育の消費者と供給者が各々の利 益の最大化を求めて行動する、競争の場が「試験」である。試験は、受験産業の提供する完璧な 情報のもとに、合理的で、運の作動する余地などない、完全競争の場となった。  著者は結論のひとつとして、「試験の時代は終わりにきた」と宣言する。それは、「試験の時代の 完成は、合理的であることがけっして子どもたちのハッピーにつながらないことを教えてくれた」か らにほかならない。
 ではどうするか。残念ながら、著者はあまりにも合理的な人材配分は避けたほうがよいという程 度以上には具体策を提示していない。その代わり、社会の活力を増し人々の幸福を追及するた めの新たな視点を提出する。
 それが副題に示された、人材の選抜に躍起になる「選抜社会」から、人材の育成を目指した 「育成社会」への転換である。著者は、プロ野球という特殊な世界と、教育の世界以上に教育化し ている企業社会の観察を通じてこのあらたな視点にたどり着く。プロ野球のごとき実力がみえやす い実力主義の世界ですら、選抜(玉取り)よりも選手の育成力が決め手になる社会である。野球と は比較にならないほど「実力」があいまいで不確実な教育の世界で、選抜にこれほど熱心になる 必要はあるのか。育成社会への転換のためには、経済効率的な生活様式から脱皮する必要があ ると著者は主張する。
 それはどういうことだろうか。この、本書のいまひとつのおいしい部分を読む楽しみは、読者のた めに残しておこう。
 鋭い切れ味をもった人の文章にありがちなことだが、行間を繰り返し読まされ箇所がないわけで はない。しかし、ややもすると難解になりがちなテーマを専門的な方法によって扱いながら、著者 はそれを日常的な用語と論理に翻訳して提示してくれている。そのため類書と比較するときわめ て読みやすく、経済学の目からみた日本社会像をイメージしやすく仕上がっている。

以上

1996年12月5日


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