=大会プログラム= of 教育史学会第56回大会(お茶の水女子大学)



2012年9月22日(土)・23日(日)

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大会プログラム

- 研 究 発 表 –

9月22日(土) 第1日 午前の部(9:00~12:00)

第1分科会会場  共通講義棟1号館301室

司会 : 清水康幸(青山学院女子短期大学) 佐藤広美(東京家政学院大学)

〔1〕 9:00 「文検図画科」の試験問題の分析

亀澤朋恵(神戸大学・院)

〔2〕 9:30 1930年代伊勢参宮旅行の拡大―関東地方における普及の要因と実態

橋本 萌(お茶の水女子大学・院)

〔3〕 10:00 1930年代の教育改革論─国策研究会の文政改革論を中心に─

金 智恩(お茶の水女子大学・院)

〔4〕 10:30 1930年代における東京帝国大学法学部教授の言動とスタンス―国家と大学の関係を中心に―

堀之内敏恵(お茶の水女子大学・院)

〔5〕 11:00 1920~30年代の実業補習学校の発展とその地域的諸類型に関する一考察

三羽光彦(芦屋大学)

〈総合討論〉 11:30~12:00

第2分科会会場  共通講義棟1号館302室

司会 : 吉野剛弘(東京電機大学) 井澤直也(いわき明星大学)

〔6〕 9:30 1920年代におけるハーモニカの普及と旧制中学校の音楽部―楽器メーカーとのかかわりに着目して―

古仲素子(東京大学・院)

〔7〕 10:00 僧侶養成学校から中学校への転換―愛知県を事例に―

烏田直哉(東海学園大学)

〔8〕 10:30 1920-1930年代における公民教育の実践としての生徒自治―旧制立教中学校学校市制を中心に―

田中智子(立教大学)

〔9〕 11:00 「外地」における日本側中等学校の「現地志向/「内地」志向」―私立青島学院商業学校を中心に―

山本一生(日本学術振興会特別研究員・PD)

〈総合討論〉 11:30~12:00

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(9月22日午前)

第3分科会会場  共通講義棟1号館303室

司会 : 小野雅章(日本大学) 斉藤利彦(学習院大学)

〔10〕 9:00 占領期朝鮮人学校閉鎖措置の再検討―法的枠組みに着目して―

松下佳弘(京都大学・聴講生)

〔11〕 9:30 1950~60年代における東京朝鮮中高級学校の教育実践研究―脱植民地化と生活の論理―

呉 永鎬(一橋大学・院)

〔12〕 10:00 放送劇「鐘の鳴る丘」の映画・紙芝居・絵本・幻燈版―浮浪児・戦争孤児イメージの視覚化と菊田一夫との乖離―

逸見勝亮(北海道大学)

〔13〕 10:30 小学校社会科教科書『あかるい社会』と桑原正雄―資本制社会における「郷土」を問う教育の地平

須永哲思(京都大学・院)

〔14〕 11:00 米占領下沖縄における社会科の誕生

萩原真美(成城学園中学校高等学校)

〈総合討論〉 11:30~12:00 

第4分科会会場  共通講義棟1号館203室

司会 : 所 伸一(北海道大学名誉教授) 宮本健市郎(関西学院大学)

〔15〕 9:30 19世紀アメリカにおけるカレッジ・カリキュラムの変化と専門職養成の関係性:Harvard Collegeの事例を中心に

原 圭寛(慶應義塾大学・院)

〔16〕 10:00 盲人教師R.B.アーウィンの「共学」思想―障害当事者による学校教育への関与とその意味―

岡 典子(筑波大学)

〔17〕 10:30 G.S.ホールにおけるchild studyの構想―19世紀末のchild study movementに着目して―

大木美代子(聖徳大学・院)

〔18〕 11:00 ソビエト教育学における訓育論形成をめぐって~集団主義の形成をめぐって~

桑原 清(北海道教育大学)

〈総合討論〉 11:30~12:00

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(9月22日午前)

第5分科会会場  共通講義棟1号館204室

司会 : 梶山雅史(岐阜女子大学) 荒井明夫(大東文化大学)

〔19〕 9:00 明治初年の開校式

宮坂朋幸(大阪商業大学)

〔20〕 9:30 筑摩(長野)県の名望家層における教育の位相―民権派教員との関わりから―

塩原佳典(京都大学・院)

〔21〕 10:00 明治13年東京教育会における教師論―普通教育の擁護・推進者を求めて

白石崇人(鳥取短期大学)

〔22〕 10:30 地方教育会雑誌にみる教員の森文政と市制町村制に対する評価と葛藤―『埼玉教育雑誌』を中心にして―

河田敦子(お茶の水女子大学・非常勤)

〔23〕 11:00 <青年>はいかなる存在として誕生したのか

和崎光太郎(京都大学・院)

〈総合討論〉 11:30~12:00

第6分科会会場  共通講義棟1号館205室

司会:大塚 豊(広島大学) 一見真理子(国立教育政策研究所)

〔24〕 9:30 民国期における私塾改良構想―壽价藩著『私塾指導』の考察―

鈴木正弘(埼玉県立所沢西高等学校)

〔25〕 10:00 中華民国初期におけるボーイスカウト運動の土着化に関する一考察―童子軍通則の検討を通じて―

孫 佳茹(早稲田大学・院)

〔26〕 10:30 民国期におけるキリスト教の中国郷村建設運動に関する一考察

丁  健(東京大学・院)

〔27〕 11:00 台湾人神学生・聖職者にとってのキリスト教と社会―台南神学校『校友会雑誌』(1928年―)を手がかりとして―

三野和惠(京都大学・院)

〈総合討論〉 11:30~12:00

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9月23日(日) 第2日 午前の部(9:00~11:30)

第1分科会会場  共通講義棟1号館301室

司会 : 木村政伸(筑紫女学園大学) 川村 肇(獨協大学)

〔28〕 9:00 地域の教育・文化拠点としての近世寺院―飛騨国大野郡山田村の浄覚寺を事例として―

梶井一暁(鳴門教育大学)

〔29〕 9:30 幕末維新期における遠江国神職の書籍の蒐集と移動―養子入りと三河国との関係に着目して―

松尾由希子(静岡大学)

〔30〕 10:00 柳田國男の教育語彙にみる前近代教育観

渡部恭子(慶應義塾大学・院)

〔31〕 10:30 学制布告書の再検討

湯川嘉津美(上智大学)

〈総合討論〉 11:00~11:30

第2分科会会場  共通講義棟1号館302室

司会 : 大橋基博(名古屋造形大学) 吉川卓治(名古屋大学)

〔32〕 9:00 戦後教育改革期の文部省における学校評価の導入過程―「学校評価基準と手引き(試案)」の成立に与えたアメリカの影響をめぐる考察―

橋本昭彦(国立教育政策研究所)

〔33〕 9:30 教育基本法成立過程における羽渓了諦―第一特別委員会主査としての役割を中心に―

橋爪孝夫(桜美林大学)

〔34〕 10:00 敗戦直後における青年学校教育課程改革の動向―教授及訓練科目要旨・教授及訓練要目の修正案をめぐって―

大島 宏(東海大学)

〔35〕 10:30 「新制大学12校先行認可問題」に関する一考察―関西学院長・神崎驥一と「関西四大学」の動向を中心に―

木田竜太郎(早稲田大学・院)

〈総合討論〉 11:00~11:30

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(9月23日午前)

第3分科会会場  共通講義棟1号館303室

司会 : 高橋陽一(武蔵野美術大学) 鳥居和代(金沢大学)

〔36〕 9:00 明治期における宗教系私学の徴兵令認定について

江島尚俊(立教大学・非常勤)

〔37〕 9:30 障害児に対する初等教育界の関心の共有化―大正12年盲学校及聾唖学校令までの小学校・県教育会・師範学校を中心に―

中村満紀男(福山市立大学)

〔38〕 10:00 明治後期における子ども救済事業と天皇制―岡山孤児院における実践に着目して―

稲井智義(東京大学・院)

〔39〕 10:30 戦前期、岡山県下における小学校教員養成所の設置状況及び設置形態

遠藤健治(美作大学)

〈総合討論〉 11:00~11:30

第4分科会会場  共通講義棟1号館203室

司会 : 香川せつ子(西九州大学)  鳥光美緒子(中央大学)

〔40〕 9:00 19世紀後半のイギリス女子中等教育における家庭科の導入:ノース・ロンドン・コリージェト・スクールの事例 1871-1894

中込さやか(ロンドン大学)

〔41〕 9:30 イギリス初代教育学教授ジョゼフ・ペインの教員養成観

本多みどり(岩国短期大学)

〔42〕 10:00 20世紀初頭ロンドンの児童保護委員会における学校・家族・地域

内山由理(首都大学東京・院)

〔43〕 10:30 ペスタロッチ教育学における身体教育の位置づけ:二つの「身体」(生体・媒体)に基づく検討

中野浩一(日本大学)

〈総合討論〉 11:00~11:30

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(9月23日午前)

第5分科会会場  共通講義棟1号館204室

司会 : 笠間賢二(宮城教育大学) 山田恵吾(埼玉大学)

〔44〕 9:00 被抑圧地域のしたたかな生き残り戦略―高等女学校の洋制服から長崎県諫早の地域性を読み解く―

   岡本洋之(兵庫大学)

〔45〕 9:30 甲種商業学校簿記算術教授要目と会計教育の制度化

   工藤栄一郎(熊本学園大学)

〔46〕 10:00 大正期における学校園の展開

田中千賀子(武蔵野美術大学・非常勤)

〔47〕 10:30 「全国体育デー」に関する一考察

野口穂高(玉川大学)

〈総合討論〉 11:00~11:30

9月23日(日) 第2日 午後の部(12:30~15:00)

第1分科会会場  共通講義棟1号館301室

司会 : 大矢一人(藤女子大学) 大島 宏(東海大学)

〔48〕 12:30 高校水産科教科書に記された水俣病事件に関するある誤謬の意味

中野 浩(東京海洋大学・非常勤)

〔49〕 13:00 戦後日本の家族計画運動における受胎調節指導の変容
―実地指導員としての助産婦の役割拡大と困難化―

高木雅史(福岡大学)

〔50〕 13:30 幼保一体化に関する一考察―山下俊郎の戦後における東京家政大学の保育学(幼児教育・福祉)研究・実践を中心に―

坂入 明(東京家政大学)

〔51〕 14:00 戦後夜間中学校(中学校における二部授業)の法的位置づけ

大多和雅絵(横浜市立学校・事務職)

〈総合討論〉 14:30~15:00

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第2分科会会場  共通講義棟1号館302室

司会 : 谷本宗生(東京大学) 柏木敦(兵庫県立大学)

〔52〕 13:00 農学校通則廃止と農事巡回教師制度

伊藤稔明(愛知県立大学)

〔53〕 13:30 明治初期日本における近代医学の受容と民衆の人体像―明治8~11年出版「人体問答」書の分析―

月澤美代子(順天堂大学)

〔54〕 14:00 明治10年代における教育事務の再編―「行政国家」形成の視点から―

湯川文彦(日本学術振興会特別研究員・PD)

〈総合討論〉 14:30~15:00

(9月23日午後)

第3分科会会場  共通講義棟1号館303室

司会 : 大谷 奨(筑波大学) 新谷恭明(九州大学)

〔55〕 12:30 移民子弟教育と「日本精神」―ブラジル日系移民を事例として―

根川幸男(ブラジリア連邦大学)

〔56〕 13:00 開拓使の公立学校設置策

井上高聡(北海道大学)

〔57〕 13:30 北海道庁令「簡易教育規程」(1898年~1908年)について―簡易教育および簡易教育所の実態をとおして考える―

坂本紀子(北海道教育大学)

〔58〕 14:00 「第二尋常小学校」の意味―近代北海道のアイヌ教育史における「別学」原則の実態―

小川正人(北海道立アイヌ民族文化研究センター)

〈総合討論〉 14:30~15:00

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第4分科会会場  共通講義棟1号館203室

司会 : 沼田裕之(東北大学・名誉教授) 綾井桜子(十文字学園女子大学)

〔59〕 12:30 シャルル・ロランの『学校教育論』(1726-1728)に関する考察

越水雄二(同志社大学)

〔60〕 13:00 19世紀末フランスにおける娘jeune filleの家庭教育像―週刊誌『ラ・ファミーユ』の分析を中心に―

井岡瑞日(京都大学・院)

〔61〕 13:30 デュルケム道徳教育論における個人の位置

水谷友香(京都大学・院)

〔62〕 14:00 能力心理学としての骨相学―能力概念形成史の視角から見たその教育史的意義―

平野 亮(神戸大学・研究員)

〈総合討論〉 14:30~15:00

(9月23日午後)

第5分科会会場  共通講義棟1号館204室

司会 : 佐藤由美(埼玉工業大学)  駒込 武(京都大学)

〔63〕 13:00 1910年代朝鮮人教育の性格再論

原 智弘(帝京大学)

〔64〕 13:30 植民地朝鮮の「御真影」―不在と偏在―

樋浦郷子(帝京大学)

〔65〕 14:00 1920-30年代朝鮮総督府による孤児養育事業に関する研究―朝鮮総督府済生院養育部の農場移転に着目して

田中友佳子(九州大学・院)

〈総合討論〉 14:30~15:00

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第6分科会会場  共通講義棟1号館205室

司会 : 奈須恵子(立教大学) 木村 元(一橋大学)

〔66〕 13:00 雑誌『性』から『優性』への転換にみる1930年代後半における性教育の特質

久保田英助(愛知みずほ大学)

〔67〕 13:30 1940年代の文化学院と西村伊作―弾圧・閉鎖から復興へ―

平沢信康(鹿屋体育大学)

〔68〕 14:00 上原專祿「主体性形成」論における「史心」の位置と構造―『史心抄』(1940年)にみる動態的認識方法―

片岡弘勝(奈良教育大学)

〈総合討論〉 14:30~15:00

- コロキウム –

9月23日(日) 第2日 15:10~17:30

コロキウム1会場  共通講義棟1号館302室 

幼児教育史研究の現在
―日本とドイツ―

オルガナイザー  湯川嘉津美(上智大学)
報  告  者  太田 素子(和光大学)
「日本における実践史研究の課題と方法――プロジェクト・メソッド研究を手がかりに―― 」
         大崎 功雄(北海道教育大学・名誉)
「ドイツにおける保育者養成制度史研究の現状と課題」

設定趣旨
 本コロキウムでは、日本とドイツの幼児教育史研究について、二人の報告者の提案をもとに議論を行い、幼児教育史研究の現状と動向、課題について考察する。日本の幼児教育史研究は他分野の研究に比較して遅れているが、本コロキウムを通じて、幼児教育史研究の現状を把握し、今後の課題について考える機会としたい。
 太田報告では、近年盛んに行われるようになったプロジェクト・メソッド研究を手がかりに、日本における実践史研究の方法と課題について考察する。2011年12月の第7回幼児教育史学会シンポジウムでは、1920年前後、1960~70年代、2000年前後という三つの時期に実践されたプロジェクト・メソッドの実践記録をもとに、百年の時間軸を取って、日本におけるプロジェクト・メソッドの導入とその実践について比較検討を行った。本報告では、先のシンポジウムの各報告(橋本美保、浅井幸子、鳥光美緒子各氏による)も参照しながら、幼児教育実践史の視野からプロジェクト・メソッド研究の意味を問い直し、実践史研究の方法と課題について検討することとしたい。
 大崎報告では、保育者養成制度史研究の視点から、ドイツの幼児教育史研究の現状と課題について検討を行う。ドイツの保育者養成制度史研究は、フレーベルの幼児教育思想やその実践に関する研究に比較して著しく遅れている。そこには幼児教育史研究の「観念的形態」偏重とその単純な裏返しとしての、全体的構造把握を欠いた実際場面叙述主義という研究水準の問題があり、保育者養成制度史研究は、日本はもちろんドイツ本国においてもほとんど見受けられないという現状にある。報告者はかつて「20世紀初頭のプロイセン・ドイツにおける保育者養成制度の成立過程」(岩崎次男編『幼児保育制度の発展と保育者養成』玉川大学出版部、1995年)と題して、保育者養成の国家的制度化の過程について明らかにしたが、本報告ではその研究成果を踏まえながら、ドイツの保育者養成制度史研究の現状と課題について考察する。

コロキウム2会場  共通講義棟1号館303室

近代日本における教育情報回路と教育統制に関する研究(1)
― 明治後半期 ―

オルガナイザー  梶山雅史(岐阜女子大学)
報  告   者   白石崇人(鳥取短期大学)
         梶山雅史(岐阜女子大学)

〈設定主旨〉
 1880年代に全国各地に登場した地方教育会は、1890年代には府県レベルを超えた広域ブロックの聯合教育大会・聯合教育会を相次いで組織するに至る。1896年(明治29)には「大日本教育会」と「国家教育社」が合併し「帝国教育会」と改称、全国教育会として国家の教育政策に一定の影響を及ぼす中央教育団体となる。時代の進行と共に急速に教育会組織の重層化が進行する。重層化する教育情報回路の実態と教育会の機能の変化について分析を深める。
○ 白石報告「明治30年代帝国教育会の中等教員養成の分析―中等教員講習所に焦点をあてて」
 明治30年代は、中等学校の拡充のなかで、高師や指定・許可学校、臨時教員養成所、「文検」による多様な中等教員養成制度が整備・確立した時期である。中等教員の量的問題だけでなく、質的問題も多様に展開した時期であった。当時唯一の中央教育会であった帝国教育会は、この中等教員問題にどのように対応したのか。
 帝国教育会は明治33年(1900)から明治36年(1903)の間、中等教員養成を意図して「帝国教育会中等教員講習所」を設置・運営した。同講習所は、数学科・地理歴史科・国語漢文科・英語科を設け、合計700人以上の中等教員志望者・現職教員に対する講習を実施した。先行研究ではほとんど触れられてこず講師や受講者数、教育課程等の基本的な事業実態や意義すら明らかでない。
 地方教育会は、明治10年代以降、教員講習会を設けて地域の初等教員養成・研修施策を補完してきた。明治30年代は、この事業がさらに量的・質的に変化する。帝国教育会の中等教員講習所を検討することで、教育会の教員養成機能の変化を明らかにしたい。
○ 梶山報告「教育会組織の重層化と教育会の機能変化」
 明治34年(1901)10月東京府聯合教育会決議により、翌年5月東京府教育会主催で関東教育大会(第1回関東聯合教育会)が開催され、以後昭和15年(1940)活動停止まで広域聯合教育会として存続した。文部省からの諮問案答申また文部省・政府に建議を提出したこの関東聯合教育会は注目に値する。東京市教育会、東京府教育会、関東聯合教育会、帝国教育会と4層の教育会がどのように機能したか。首都東京における教育会の重層構造の考察を試みたい。そこに展開していた縦横の教育情報回路はいかなるものであったか。文部省の膝元東京での教育要求の組織化、教育世論と教育政策形成は全国的に影響を及ぼすがゆえにその実態にスポットをあてておきたい。各レベルの教育会の機能・役割がどのように推移していったのか。とりわけ、当時隔年に設定されていた全国聯合教育会さらに中央教育会である帝国教育会との位置関係、さらに人物群像の重なりも注目したい。首都の教育会の役員には文部省官吏、高等師範学校スタッフ、有力教育雑誌の編集者も選出されており、教育ジャーナリストの活躍も興味深い。

コロキウム3会場  共通講義棟1号館203室

日本キリスト教教育史における
『キリスト教学校教育同盟百年史』の位置付け

オルガナイザー 辻直人(北陸学院大学)
司  会  者 榑松かほる(桜美林大学)
報  告  者 長岡仰太朗(青山学院大学大学院)
        高瀬幸恵(鶴川短期大学)
        辻 直人(北陸学院大学)

<設定趣旨>
 キリスト教学校教育同盟(以下、教育同盟)とは、プロテスタント信仰に基づき設立運営されている諸学校によって組織された連絡団体であり、1910年4月に同志社で開かれた創立総会に十校が参加して発足した(賛同していた学校はもっとあったが、当日実際参加できた学校は十校のみ)。以来活動を継続して現在の加盟法人数は98を数え、2010年に創立百周年を迎えている。教育同盟は2001年より百年史編纂委員会を組織して、同団体初の通史編纂に取り組んできた。そしてその成果として、2010年11月に『キリスト教学校教育同盟百年史 年表』、2012年6月に『キリスト教学校教育同盟百年史』(通史編、資料編)を刊行した。
 『教育同盟百年史』は従来刊行されてきた各キリスト教学校の個別年史とは違い、キリスト教学校の歴史を横断的に眺めた一組織史である。どういうわけか、今までの個別キリスト教学校史では、教育同盟の存在は「無視」されてきた。このような研究状況において、また日本のキリスト教教育を概観する通史そのものがほとんど存在しない中で、『教育同盟百年史』の刊行された意義は大きいと考える。というのも、キリスト教学校間では文部省訓令第十二号問題以降、様々な問題において連帯協力して対処しているという実情が『教育同盟百年史』を通じて浮かび上がってきたからである。
 このコロキウムでは主として戦時下の動向を中心に、個別学校史との対比や、教育同盟の活動で特筆すべきものを取り上げて、『教育同盟百年史』の研究上の意義や今後の課題について検討したい。というのも、1910年の発足以来、教育同盟の運営体制が固まり、種々の活動においても広がりを持つようになるのが1930年代以降、戦時体制下であるからである。
 キリスト教学校の場合、単に一私学という立場であるだけでなく、母体となる宣教団体(その多くはアメリカに本拠を置く諸教会)との関係をも考慮しなければならない。一方で、公教育団体として国家政策とも対峙することを迫られる。すなわち、国家及び教会との関わりの中で日本のキリスト教学校がどのような存在意義を見出していったのか、教育同盟が諸学校の存続にどのような役割を果たしたのかという問いを基盤として、教育同盟史を考察することとしたい。

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