博士後期課程
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金 智恩(KIM Jieun)
【入学年度】2010年度
【研究テーマ】1930年代における民間教育研究団体の教育制度改革運動
【主要な業績】
〈論文〉
・金智恩〔研究ノート〕「教育科学研究会の教育制度改革運動 - 教育改革同志会及び国策研究会との関係」『PROCEEDINGS 20 Grant-In-Aid Research Awards』お茶の水女子大学グローバルCOE「格差センシティブな人間発達科学の創成」、2012年、pp.173-181
・金智恩「教育科学研究会の教育制度改革案の基盤形成―鈴木舜一の「研究調査」を中心に」『人間文化創成科学研究科論叢』第15巻、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究会、2013年3月、pp. 201-209
〈学会発表〉
・金智恩「教育科学研究会の教育制度改革運動―鈴木舜一の「研究調査」を中心に―」教育史学会第54回大会、東京・早稲田大学、2010年10月
・金智恩「1930年代の教育改革論-国策研究会の文政改革論を中心に-」教育史学会第56回大会、東京・お茶の水女子大学、2012年9月
・金智恩「教育科学研究会の「教育改革案」-教育改革同志会の「教育制度改革案」との比較」『人間文化創成科学研究科論叢』第17巻、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科、2015年3月、pp.133-142
【自由記述】
1930年代に行なわれた教育運動について研究しています。特に、義務教育年限延長、中等教育の一元化などといった教育機会均等の実現のために、民間教育研究団体が教育制度改革にどのように関わっていたのかを追究しています。戦前に教育運動を展開した様々な研究団体の中で、教育制度改革案や教育行政改革案などを公表した教育科学研究会、教育改革同志会、国策研究会を対象としています。
橋本 萌(HASHIMOTO Megumi)
【入学年度】2011年度
【研究テーマ】1930年代の小学生を対象とした修学旅行(伊勢参宮旅行)について
【主要な業績】
〈論文〉
・橋本萌「1930年代東京府(東京市)小学校の伊勢参宮旅行―規模拡大の経過と運賃割引要求―」、『教育学研究』第80巻、第1号、日本教育学会、2013年3月、pp.26-38
・橋本萌「関東地方における伊勢参宮旅行の拡大-埼玉県・群馬県を事例として-」『人間文化創成科学研究科論叢』第17巻、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科、2015年3月、pp.87-95
〈学会発表〉
・橋本萌「1930年代伊勢参宮旅行の拡大―関東地方における普及の要因と実態」教育史学会第56回大会、東京・お茶の水女子大学、2012年9月
・橋本萌「1930年代東京府における伊勢参宮旅行」教育史学会第55回大会、京都・京都大学、2011年10月
【自由記述】
1930年代、急激に増加していく小学生の伊勢参宮旅行を研究しています。
関東地方を中心に資料調査をしています。今後は近畿地方の状況も調査していきたいと考えています。また、なぜ伊勢神宮へいくのか、について考える上で式年遷宮による学校教育への影響を検討したいと考えています。
堀之内 敏恵(HORINOUCHI Toshie)
【入学年度】2011年度
【研究テーマ】大学史
【主要な業績】
〈論文〉
・堀之内敏恵 「1930年代の東京帝国大学法学部と国家権力-高等試験委員への委嘱状況からの考察-」『人間文化創成科学研究科論叢』第17巻、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科、2015年3月、pp.211-218
・堀之内敏恵 「蝋山政道における国家と大学-平賀粛学へのかかわりを中心に-」『人間文化創成科学論叢』第15巻、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科、2013年、pp.251-259
・堀之内敏恵〔研究ノート〕「平賀粛学と大学人-東京帝国大学『評議会記録』からの考察-」、『PROCEEDINGS 20 Grant-In-Aid Research Awards』、お茶の水女子大学グローバルCOE「格差センシティブな人間発達科学の創成」、2012年、pp.151-160
〈学会発表〉
・堀之内敏恵「人事問題としての天皇機関説」教育史学会第58回大会、東京・日本大学、2014年10月
・堀之内敏恵「1930年代における東京帝国大学法学部教授の言動とスタンス-国家と大学の関係を中心に -」教育史学会第56回大会、東京・お茶の水女子大学、2012年9月
・堀之内敏恵「蝋山政道における国家と大学-平賀粛学へのかかわりを中心に-」教育史学会第55回大会、京都・京都大学、2011年10月
〈その他〉
・発表 堀之内敏恵「1930年代の東京帝国大学法学部-高等試験委員への委嘱状況-」旧制高等学校・夏期教育セミナー、長野・旧制高等学校記念館、2013年8月
・堀之内敏恵「1930年代の東京帝国大学-高等試験臨時委員への任命状況-」東京大学史史料室ニュース、第49号、東京大学史史料室、2012年11月
【自由記述】
戦前の大学人の思考に関心があります。1930年代、滝川事件から平賀粛学に至るまでの時期を中心に、主に東京帝国大学法学部とその教授陣の動向について調べています。
萩原 真美(HAGIWARA Mami)
【入学年度】2013年度
【研究テーマ】占領下沖縄の社会科成立過程史
【主要な業績】
〈論文〉
・萩原真美「占領下沖縄における社会科の誕生」『人間文化創成科学論叢』第16巻、2014年3月、pp.167-175
・萩原真美「成城学園中学校高等学校の地理教育における自学自習-その歴史的経緯に着目して」『成城学園教育研究所研究年報』第三十五集、2014年3月、pp.1-68
・萩原真美「地理教師としての仲原善忠」『教職研究』第22号、2012年、pp.1-11
・萩原真美「成城教育の理念と実際―中2地理「テーマ学習」を事例に―」『教職研究』第21号、2011年、pp.47-60
〈学会発表〉
・萩原真美「占領初期沖縄における歴史教育の志向性―『沖縄歴史参考資料』を手がかりに―』教育史学会第58回大会、東京・日本大学文理学部、2014年10月
・萩原真美「米占領下沖縄における社会科の誕生」教育史学会第56回大会、東京・お茶の水女子大学、2012年9月
〈その他〉
・萩原真美「解題」『編集復刻版 旧制成城高等学校尋常科地理自学書集』不二出版(株)、2014年8月、pp.1-18
【自由記述】
占領初期の沖縄において、社会科が成立した背景やその意義に関心があります。現在、米軍政府が力を入れてその編集作業にあたっていた、ガリ版刷り歴史教科書・副読本の成立過程や内容分析を通じて、その執筆者・編者である沖縄の教育行政側の対応やその心性について、研究をすすめております。また、沖縄で社会科が導入された直接的な原因である六・三・三制の導入と、当時の沖縄が抱えていた教科書問題の関連性に着目し、それに関与した人物の動向を多角的に調査しております。
吉岡 三重子(YOSHIOKA Mieko)
【入学年度】2013年度
【研究テーマ】近代日本における「高等普通教育」の制度化過程
【主要な業績】
〈学会発表〉
・吉岡三重子「七年制高等学校案の展開過程よりうかがえる『高等普通教育』の変容とその意味」教育史学会第57回大会、福岡・福岡大学、2013年10月
【自由記述】
明治末期から大正期の学制改革論議において、多様な意味でとらえられながら制度化が推進された「高等普通教育」の研究をしています。高等学校の存廃問題をとおして、なぜ「高等普通教育」が制度化されたのかという点から、戦前一貫して議論された中等教育と高等教育における接続問題について検討する予定です。
滝澤 佳奈枝(TAKIZAWA Kanae)
【入学年度】2014年度
【研究テーマ】日本統治期台湾の高等女学校における技芸教育
【主要な業績】
〈論文〉
・滝澤佳奈枝「台北州立台北第三高等女学校における裁縫科教育と女子教員の養成―国語学校付属学校時代から1920年代を中心に―」、『植民地教育史研究年報 植民地教育とジェンダー』、晧星社、第16号、pp.8-25,2014年
・滝澤佳奈枝「植民地台湾の公学校における裁縫教育―木下竹次の裁縫学習法を手がかりとして―」、『日本植民地・占領地教科書と「新教育に関する総合的研究~学校教育と社会教育から」』、研究代表者 北海道大学大学院教育学研究院 西尾達雄、平成22年度~平成24年度科学研究費補助金基盤研究(B)課題番号22330307、pp.167-181、2013年
〈学会発表〉
・滝澤佳奈枝「台北州立台北第三高等女学校における裁縫科教育と女子教員の養成―国語学校付属学校時代から1920年代を中心に―」、日本植民地教育史研究会第16回研究大会、於中京大学、2013年3月
・滝澤佳奈枝「植民地台湾の公学校における裁縫教育と新教育―木下竹次の裁縫学習法を手がかりとして―」、日本植民地教育史研究会第15回研究大会、於相模女子大学、2012年3月
【自由記述】
日本統治期台湾の高等女学校における技芸教育(特に裁縫教育)に関する考察を進めています。民族、性、地域、階層などの視点から裁縫科教育の内実を明らかにし、高等女学校で裁縫を学ぶことにどのような意義があったのか考究していきたいと考えています。
何 広梅(KA Kobai/HE GUANGMEI)
【入学年度】2015年度
【研究テーマ】帝国日本の対内モンゴル教育研究―善隣協会によるモンゴル人留学事業を中心に
【自由記述】
お茶大は子育てをしながらでも安心して学べる大学であることを「お子さんが待っているでしょう、早め帰ってもいいよ!」という先生の優しい一言から実感しました。このような恵まれた研究環境の中で研究業績を残すことが最も重要だと思います。私は近代的な大学教育が中国の内モンゴル少数民族地域にどのように展開されてきたのか、それを帝国日本の対内モンゴル教育政策と結び付けて論じ、研究業績を残せることができればと思っております。