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卒業生の声

2020年4月30日更新

日本文学を伝える 高張 優子

  高校生の頃は、何となく古典の授業が好きで、古典文学についてもっと知りたいと思っていました。

 大学に入ってからも興味があるのは相変わらず古典文学でしたが、お茶大の日文コースは、古代から現代までの文学の授業と、日本語学の授業が必修になっています。必修のほかにも面白い授業がたくさんあり、高校生の頃には想像できなかったほど多様な「日本語による表現」に触れることができました。大学時代はとても視野の広がった時間だったと思います。

 さて、大学には、単位を取ることによって取得できる資格があり、お茶大の日文では、教員免許のほかに博物館の「学芸員」の資格も取得できます。私は博物館が好きだという単純な理由で、学芸員資格取得のための授業を受けました。

 そして現在は、山口県防府市にある、山頭火ふるさと館で学芸員として働いています。防府市は古代には周防国府があったところで、自由律俳句の代表として知られる種田山頭火の出身地でもあります。私の仕事は、山頭火の資料を集め、調査し、広く普及させることです。

 山頭火については、コアなファンが全国にいる一方、地元では、山頭火の人生や作品に対して嫌悪感や違和感を示される方もいます。さまざまな見方があるという事実も見据えつつ日本文学のひとつとして山頭火の作品を捉え、専門家やコアなファンだけでなく一般の人々にも普及させていく必要があります。1300年前の和歌が今でも残っているように、100年前の山頭火の作品もこれから先の人々に継承していかなければならないと思うからです。

 今、日本文学に関わる仕事ができているのは本当に恵まれたことですが、地方の小さな博物館では、研究以外の業務も山ほどあります。興味の赴くまま常に日本文学に触れることができていた大学時代は、今以上に恵まれていたと感じます。

 その恵まれた時間の中で学んだことを忘れずに、これからも日本文学を現在、そして後世の人々に伝えていきたいと思います。

勤務先:山頭火ふるさと館

2019年 比較社会文化学専攻 日本語日本文学コース修了

知的空間を旅しよう 白倉 志保

日本人の風俗や文化の変遷に心惹かれる私にとって、大学の講義は魅力にあふれていた。古事記を読んでは古代の神々に思いをはせ、中世の和歌の解釈に悩みながら、気付けば「四季をめでる気持ちや大切な人への思いはどの時代も変わらないんだなあ」などとうっとりする日々。本をひもとけば、当時の人々の息づかいが聞こえてくる。授業時間の半分は夢想に浸っていたように思う。本当の意味での学問はその先にあるのだが。

何かひとつ知ると、ジャンルや時代を超えて多方向にあれもこれも気になり、最初のきっかけが何だったのか忘れてしまう…という性格上、自分は研究者には向かないと早々に気付いた。しかし出身地に戻り、新聞記者という職業に就いた今、古代から近現代まで、幅広い時代の文学や日本語の成り立ちを学んだことがさまざまな場面で役に立っている。

記事では、物事を多面的に捉えることが求められる。俯瞰的なものの見方や、表現の裏に隠された意図を探る方法を教えてくれたのは近代文学ゼミの教授だった。記事を書く際はある事実だけを取り出すのではなく、異なる立場の関係者の声を集め、背景を踏まえて客観的に構成しようと心掛けている。

地方紙だけに、話題は県民に身近なことばかり。記者と読者の距離も近い。地道な町おこしの取り組みや地域のささやかな話題を取材して喜ばれることもあれば、書いた記事が意図せぬ方向に受け取られ、読者から直接厳しい意見をもらうこともある。記事に署名が入るので、いいかげんなことは書けない。「言葉」の力、新聞の影響力を目の当たりにして、常に責任感と充実感を味わっている。

大学時代は、自分が何者で、何になりたいのかも分からなかった。ただ面白いと思うことにあちこち首を突っ込んでいたが、思い返せば贅沢な時間だったのだ。時間のあるうちに多くの本と出合い、多くの先人に思いをはせてほしい。興味の赴くままに知的空間を旅することは、必ず自分の力になり、未来につながると感じている。

勤務先:大分合同新聞社 報道部社会班

2006年 文教育学部言語文化学科日本語・日本文学コース卒業

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