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イスラエル留学体験記

2016年9月6日更新

イスラエル留学体験記(3年 竹内詩織)  

※2009年3月掲載

イスラエルでの滞在

私が2008年9月から2009年4月まで約六ヶ月滞在したイスラエルは、聖書に登場する土地として宗教的に非常に重要であるのと同時に、現在ではパレスチナ人、イスラエル人との対立で世界中から注目を浴びている国です。 とは言え、イスラエルに来る前までの私は、ヘブライ語は全くのゼロ、イスラエル建国の歴史やパレスチナ問題についても知らず……という状態でした。それなのに、なぜ、イスラエルだったのか? 話は二年前にさかのぼります。当時学部一年生だった私は、個人旅行でイスラエルを訪れました。これといった理由があるわけではなく、漠然とした異文化への興味から、三大一神教の聖地が重なるエルサレムを見てみたかったのです。そこで目にしたのは、日本では遭遇することのないものの数々でした。黒ずくめのユダヤ教正統派と呼ばれる人の格好、地区ごとにまったく様子が違う旧市街、金に輝くモスク……。その中でも、シャバットというユダヤ教の安息日の夜、同じ格好をしたユダヤ教徒が嘆きの壁の前に続々と集まって祈りを捧げる光景は、強く頭に焼きつくものでした。日本の文化の中で育った私の目にはそれは異様に映ったし、こういった文化を持つ人が世界には存在するのかと、にわかには信じられませんでした。私にとって、ただの金曜日の夜で、ただの壁で、「神」という存在はそこには見ることはできなかったのだけど、一体彼らには何が見えているんだろう、宗教とはどういうものなんだろう。そう思ったのが、宗教に根ざした生活を知りたいと思ったきっかけです。そして、旅行者としてではなく長期滞在をして、もっと色々なものを見て、聞いて、歩きたいと切実に思ったのが、イスラエルという場所を決めた大きな理由です。自分の知らない文化がより顕著にあらわれているのがイスラエルであると思ったのです。 

イスラエルの治安(2009年3月時点)

イスラエルはエジプト、ヨルダン、レバノン、シリアに囲まれた中東の国で、建国の経緯や度重なる戦争により、イスラエルの主張する国境、アラブ諸国が主張する国境が未だ一致していない曖昧な地域です。日本では何かと危険というイメージのイスラエルですが、生活する分には危険は感じることはなく、2008年末に起こったガザ空爆のときですら普段と変わりありませんでした。ただ、当初は驚いていた街中を歩く軍人の姿やデパート等の入り口での手荷物検査に慣れた状態なので、私の感覚は麻痺してしまったのかもしれません。現に2009年に入ってからもレバノン側からロケット弾が数発落ちています。三年前のレバノン戦争のことを簡単に話すイスラエル人の日常と、私達の考える日常とでは大きな差があると思います。戦争が身近にありながら、生活水準は日本と同じくらい。なにをもって「安全」を定義するのかはわからないけれど、これは「異常だ」と考える感覚を持っていたいと感じます。

イスラエル①イスラエル②イスラエル③

ヘブライ語学習と大学生活

ヘブライ語で「シャローム」「シャローム」とは、ヘブライ語で「平和」を意味し、「こんにちは、さようなら」と言うときの挨拶にも使われる、ヘブライ語を代表する言葉です。アラビア語と同じように、右から左へと読み書きする、日本人にとってはほとんど馴染みのない言語です。私も、最初の一ヶ月ほどは、ヘブライ語はただの絵にしか見えず、慣れるまでにかなり時間がかかりました。

さて、イスラエルという国は、世界中に散らばっているユダヤ人が、聖書の預言に従って「選ばれた民=ユダヤ人」の国を建国しようとしたのが始まりです。なので、もともとの「イスラエル人」というのは存在せず、イスラエルは「移民の国」という呼ばれ方をしています。色々な国から集まってきた色々な人が話そうとしたのが、聖書に使用されているヘブライ語。イスラエルには、移民のための語学教育を目的に設立された「ウルパン」というヘブライ語の教室が、どんなに小さな町でもあります。私は、大学が管理する2008年度秋学期、冬期集中のウルパンに通いました。 私が通ったのはイスラエル北部の港町、ハイファにあるハイファ大学です。なぜ大学のウルパンを選んだかというと、大学が管理するウルパンは、ヘブライ語の文法を体系的に学べ、会話をする上での土台作りがきちんとできることと、学習のサポートがしっかりしていると聞いたからです。私はまったくヘブライ語を勉強したことのない、初心者クラスからウルパンを始めました。初めは読み方、書き方から始まり、自己紹介もできないレベルから、最終的にはヘブライ語のみで友達とコミュニケーションがとれるまでになり、特に、冬期講座はイスラエルの報道をヘブライ語で理解することを目標としたクラスで、単なる語学学習だけではなく、イスラエルの報道のされ方も学ぶことができました。クラス編成は大半がアメリカ人、他はロシア系移民やヨーロッパ、南米出身等、世界各国からのメンバーです。彼らは必ずしも移民、ユダヤ教徒というわけでなくて、宗教学を勉強しているという子や、ジャーナリストという人もいて、本当に様々な人が集まっています。学期のウルパンは二時間週四日、冬期集中のウルパンは五時間週五日で、授業はほぼ全部ヘブライ語で行われます。毎日予習・復習・宿題と、勉強は楽ではなかったけれど、習った言葉を実践できる環境に住んで、ヘブライ語に慣れていくのはすごく楽しくて、勉強が嫌だと思うことはありませんでした。自分の上達や学習が実感できるというのは、海外留学の最大のメリットの一つだと思います。

 
ハイファ紹介

ハイファは地中海に面した美しい港町で、エルサレム、テルアビブに次ぐイスラエル第三の都市です。ハイファの中心にはバハイ教のバハイ庭園が建っていて、その華やかで荘厳な姿は、町のランドマークにもなっています。

「アラブ人とイスラエル人共生の町」とも言われるほど人口に占めるアラブ人の割合が大きい町なので、ハイファに住むイスラエル人はよくそれを誇りにしています。ただ、それは差別をするのがあまり好ましくない考え方だと思っているゆえの、「自分達はアラブ人を差別してはいない」という単なる建前のような気もします。表面に出てくるかという個人差はあれど、イスラエル人の中にはパレスチナ人、広い意味でのアラブ人への差別意識は確実にあります。その差別意識は、相当深いところにあるものだということは、イスラエル人と一緒に住んで、接しているうちによくわかってきたのです。一つの証拠として、「共生の町」といっても単に数値の上でというだけで、住む区域、貧富の差、職業は本当に驚くほど別れているという事実があります。同じ町に住みながら、文化が違うのはもちろん、話される言語すらも違っているのです。非ユダヤ系の人口が多いことと、エルサレム等の都市に比べユダヤ教の戒律に厳しい人が少ないことから、ハイファはシャバット(※)中でもバスが動く国内唯一の都市です。その点では、歩み寄りがあるのだと思います。

(※)シャバットとは、ユダヤ教の安息日で、神が世界を創造した七日間の内、七日目に休んだことに由来して、一週間の中で金曜の日没から土曜の日没までの間、働いてはいけないことになっています。イスラエルでは毎週シャバットになると、バス、電車等の公共機関はストップし、ほとんどの店も閉まってしまいます。
イスラエル④イスラエル⑤

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