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【コロナ禍中の留学記(オーストラリア)】

2020年6月26日更新

コロナ禍中の留学記(4年 赤津七海)

2020年6月掲載

私は今年の3月頭より、オーストラリアのメルボルンにて語学留学をしています。今回はこの状況下で留学を継続し、前例のない体験をしている者の一人として、現地の状況を皆さんにお伝えしたいを思い、この記事を寄稿させていただこうと思いました。

私が現地に来た頃はその頃の日本と同じく、皆危機感はほとんどありませんでした。誰一人マスクを着用していないので、むしろ日本よりも安全なのかなと思っているほどでした(そういうわけではなかったとのちに気づくのですが)。状況が一変したのは3月23日からです。パブ、クラブ、映画館、レストラン、カフェ(テイクアウェイを除く)など、すべての娯楽施設や飲食店がこの日から一斉にクローズすると首相より22日夜に発表がありました(この1週間前から徐々に観光地の制限、図書館の休館などは始まっていましたが、強制的なものではありませんでした)。日本は4月中旬から「制限」が始まったと記憶しているので数週間先駆けての制限となると思います。これを皮切りに直行便の運航停止、学校の休校なども徐々に始まっていきました。なんといっても私が一番困ったのは、「国際荷物の停止」です。母が送ってくれた時はまだ停止してなかったのですが、道中で停止となり自宅に無事戻ったそうです(笑)こちらに来たときはまだ夏でしたので、手荷物重量の関係で、長そでを1枚しか持ってきてなかったのです。日本ほど寒さは厳しくないといっても、それなりに寒さは感じます。まだ国際荷物は受取れない状況なので、あまり衣服にお金をかけたくない私は最低限の長そでとコートだけを購入し、しのいでいる状況です。就職活動もこちらで進める予定でしたので、それに関する本が来ないことも困っています。また驚いたのは、この状況下でもアジア人以外がマスクを着けているのをほとんど全く見ないということです。コロナが広まった当初から、とにかく「social distance」「stay home」という文言はよく見ましたが、「wearing masks」という文言は一度も目にしていません。日本では、ソーシャルディスタンスよりもマスク着用が先行していたので、そこに文化の違いを体感しました。しかし、制限が施行されてから感染者数は数人単位まで減少しているので、どちらがより有効なのかはわかりませんでした。

メルボルン

イギリス文化が根強く残存するメルボルンの街並み

このように、到着後3週間足らずで語学学校も一時休校し(2週間後にオンラインにて再開しましたが)、自身も2週間に1回ほどしか外出をしないよう控えていたので、「夢の留学生活!」とはかけ離れた生活を5月いっぱいまでしていました。現在はソーシャルディスタンスを保ちながら対面授業に参加し、友人とも放課後に遊ぶことができます。居住するフラットハウスでは、オーストラリア人と台湾人の子と暮らしているので、とても楽しい日々を送ることができています。昨日、州の感染者数が増加したことに伴って制限が再強化され、自身もセカンドウェイブが来ないよう、過度な行動は避けたいと感じています。

今回、オーストラリアに来ることができたのは、不幸中の幸いであったと感じます。もしも、到着日が1週間遅ければ、多くの日本人と同じようにこちらに来ることさえできませんでした。もしも、ヨーロッパに渡航していたら、強制帰国を余儀なくされ多大な虚無感を感じていたことと思います。このような状況に実際に陥ってしまった人々がいるということを念頭に置いて、無駄にならないよう一日一日を有意義に、大切にして過ごしていかなければならない、と強く思います。

語学学校の友人と

語学学校の友人と

メルボルンの街中

メルボルンの街中にて

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