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ヴァッサー大学留学体験記

2016年9月16日更新

アメリカ留学体験記(3年 北野奏子)

2016年6月掲載


少し特殊な大学、ヴァッサー


2015年の夏から1年間、私はアメリカのニューヨーク州にあるヴァッサー大学に交換留学しました。ニューヨーク州と聞くと華やかなニューヨークシティが思い浮かびがちですが、大学自体はシティから電車で2時間ほど離れた田舎町にひっそりとあります。学生らはその小さなキャンパスで寝食を共にし、学生生活を謳歌します。 私にとってヴァッサーは少し変わった大学であるように見えました。それはヴァッサーが「先進的な理念」として「リベラル」を掲げているからだと思います。この理念は政治的思想、ジェンダー、学問などすべてにおいて既存の枠組みにとらわれず個人の意思・自由を尊重するという考え方です。一見このリベラルさはさほど特別ではないのでは?と考える方もいらっしゃるのではないかと思います。事実留学する前の私もそうでした。しかし、この理念の中には、自己紹介時に自分の代名詞のジェンダーを述べる(例:My gender pronoun is she/her/hers)、トイレはほとんど男女共同(男女別々のトイレはむしろユニセックスになるよう努力する)、イスラエル・パレスチナ問題において世論が前者を支持している中イスラエルBDS運動が行われる(反ユダヤ主義の学校としてヤフーニュースになった)などがあります。そしてこのリベラルさゆえの衝突も一年間に何度も目にしました。このような環境の中で過ごした私はまさに驚きの連続であったといっても過言ではありません。

ヴァッサーでの授業

ヴァッサーでは主に国際学の授業を履修しました。多くのクラスは膨大なリーディングを予習として読んだ後に、レクチャーを受けディスカッションを行うという形式で進められます。中でも印象的だったのは前期にとったPerspectives in International Studies という授業でした。このクラスのほとんどは白人系のアメリカ人であったため、ディスカッションを行うときは何かと意見が偏ることが多かったです。特にイスラエル・パレスチナ問題においては、教授があらかじめ「私はイスラエル派です」と宣言したうえで討論を始め、ほかの生徒らが次々とそれに賛同するようなかたちになり、アメリカの保守的な文化を垣間見ることになりました。 後期にはNational Model United Nationsという授業を履修しました。このクラスは他とは違い、ニューヨークシティで開催される模擬国連大会に出場するという目的で開講されているものであったため、授業は毎回のパブリックスピーキングに加え、幾多の外交文書を書き上げるという心身共に疲弊するような内容でした。この大会には世界からおよそ3000人の生徒が集まり、私はキューバの代表として人権理事会に参加してきました。準備過程ではキューバの国連代表部でもお話をうかがい、やはり人権問題においてはアメリカの経済制裁を強く批判していた印象でした。大会直前にはオバマ大統領がキューバを訪れるなど歴史的な動きがあったなかで、キューバの国内情勢およびそのアメリカとの関係について多くのことを学べた絶好の機会でした。結果として私たちは大会でHonorable Mention Delegationを受賞し、留学の集大成ともいえる素晴らしい経験ができたと思います。

日本語学科のドリルインストラクター

授業と並行して、私は日本語学科のドリルインストラクターとしても働いていました。前期は日本語初級を、後期は日本語上級を担当し、毎週水曜日には日本語を気楽に話すランゲージテーブルというものに参加していました。指導している中で何よりも印象的だったのが、日本のアニメの影響力の大きさです。ほかの言語と比べて日本語を習い始める学生はあらかじめ日本文化に興味を持ったうえで学習し、なおかつ日ごろからリスニング教材としてアニメを視聴しているので非常に習得が早いように感じました。これを考慮すると、異文化交流におけるメディアの役割には目を見張るものがあります。指導のほかにも熊本地震のチャリティーなどのイベントを学内で開き、多くの生徒たちに日本について知ってもらうことが出来たと思います。
ヴァッサーでの日常は目まぐるしく、一年間が本当にあっという間に過ぎ去ってしまいました。しかしこの田舎の小さなキャンパスでもアメリカの多様性がもたらす様々な問題に触れることができ、非常に濃密な時間を過ごしました。大統領選挙をアメリカで見届けられなかったことが心残りですが、この学びを活かし、今後も世界の舞台で活躍できるような人物になれるよう努力して参りたいと思います。

ヴァッサー大学

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